ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (4)

  • 現代アイドルが売る「商品」とは何か・あるいは私達は - シロクマの屑籠

    www.msn.com 痛ましい事件があった。これについて、アイドルとして活躍している方のtogetterを発見し、読みながら色々なことを考えた。 togetter.com 「アイドルの“なかのひと”は生身の人間だが、アイドルは生身の自分自身を売っているのではなく、キャラクターを売っているのだ。ファンはそのことをキチンと心得て、売られているキャラクターを愛好することはあっても、生身の人間を好きにして良いわけではない」。 正論というほかない。アイドルは「商品」を提供しているのであって、それ以上でもそれ以下でもない。そこをファンが勘違いし、商品以上の関係を要求するのは間違っている、というのはそのとおりだと思う。 アイドルに恋心を抱いたり、あまつさえ「自分のものにしたい」などと思ったりするのは、商品と商品提供者の違いをわきまえない低リテラシーなファンである。大抵のアイドルファンはそのような低リテ

    現代アイドルが売る「商品」とは何か・あるいは私達は - シロクマの屑籠
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    adliblogger 2016/05/23
    アイドルだろうがレジ打ちだろうが「低リテラシー」相手はリスク
  • 学力だけじゃない、体力もカネで買う時代 - シロクマの屑籠

    最近、建設業の人手不足の話を耳にする。帝国データバンクの2014年調査によれば(参照:pdfファイル)、建設業者の59.7%が正社員不足に陥っているという。飲業や情報サービス部門でも人手不足が目立つ。 その一方で、「正社員になりたくてもなれない」という嘆きの声も聞こえてくる。建設業やサービス業で正社員が足りないなら、正社員になりたくて仕方の無い若者をリクルートしてくれば良いのではないか――そういう年配者の声を聞いたこともある。一昔前まで、建設作業員が土方(どかた:差別用語)と呼ばれて社会問題になっていたぐらいだから、肉体労働なら誰にでもできると見做しているのかもしれない。 だが、そういう見方は時代錯誤も甚だしい。建設業の高度化が進んだというのもあるが、そもそも、持続的に身体を動かせる若者は今どれぐらい存在しているのか?持続的に身体を動かす能力は、若者の大半が持っているものではなくなったし

    学力だけじゃない、体力もカネで買う時代 - シロクマの屑籠
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    adliblogger 2014/10/28
    フルタイム勤務偏重を止めれば良いのに。多人数のマネジメントコスト増を嫌う経営側の甘えでは。
  • 「シコリティ」の意外な奥深さ――オタク界隈の内部運動という視点から - シロクマの屑籠

    オタク界隈に新たに広まりつつあるジャーゴン「シコれる」「シコリティ」 | LUNATIC PROPHET 半年ぐらい前から、オタク界隈のなかでもオシャレサブカル的に深夜アニメを観るようなファン層とは相容れない、濃くて原理的なファンの間で「シコリティ」というスラングが流通しているのを見かけるようになった。シコリティSicolityとは、シコSicoとクオリティQualityをかけあわせた造語で、美少女キャラクターがマスターベーションに適している度合いが高ければ「シコリティが高い」と表現するらしい。 一昔前の男性オタク界隈では、気に入った美少女キャラクターを指す言葉として「萌え」が使われていた。使われ始めた頃の「萌え」には恥ずかしさをオブラートに包みこむようなニュアンスあって、ストレートな表現が憚られる時には重宝していた。こうした奥ゆかしい用法としての「萌え」は、オタク界隈がカジュアル化してい

    「シコリティ」の意外な奥深さ――オタク界隈の内部運動という視点から - シロクマの屑籠
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    adliblogger 2013/04/07
    エロゲのアニメ化と⇔アニメのエロゲ化、で相互に歩み寄ってるんじゃないかな
  • 「思春期が終わったけれども壮年期が始まらない人達」 - シロクマの屑籠

    先日の記事の補足として。 今、思春期の後半と言われている20代後半〜35歳ぐらいの年齢には、思春期という言葉と表裏一体だったはずの、モラトリアム*1という言葉があまり似合わない、と思う。それぐらいの年齢になっても進路や生き筋を自由選択できる幸運とタフネスを持った人もいないことはないが、あくまで幸運だったりタフだったりする比較的少数の人達である。大半の人達においては、三十路を迎えた頃というのは、色々な事がかなりのところまで決まっている or 決まりつつある最終段階に相当する。決まりつつある、という意味ではぎりぎりモラトリアムとも言えなくもないが、夏休みに喩えるなら、八月三十日や八月三十一日を夏休みと呼ぶのと同じようなものではある。 実際には、三十路を迎えた大半の人は、自分の人生のかなりの部分を既に選んでしまっている。まだ会社は変えられるし、恋愛経験のある人なら結婚相手を選べる可能性もある。し

    「思春期が終わったけれども壮年期が始まらない人達」 - シロクマの屑籠
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    adliblogger 2012/12/30
    10年後には「壮年期モラトリアム」かね
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