18日に亡くなった大豊泰昭氏(享年51)と同じ台湾出身で、中日でともにプレーした郭源治氏(58)が後輩の死を悼んだ。 昨年も台湾にいる郭氏のもとに何度か電話があった。同9月に岐阜で再会できそうなタイミングがあったが、大豊氏が名古屋の病院にいく予定だったため、会えなかった。 先に来日し、プロで先発・抑えと大活躍していた郭氏はよく相談に乗っていたという。「真面目すぎる人だったね。リラックスをできない人だった。私にとってはいい励みであり、刺激にもなった」と話した。
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台湾出身でプロ野球の中日、阪神でプレーした大豊泰昭(たいほう・やすあき、本名陳大豊=ちん・たいほう)氏が18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で死去した。51歳。台湾出身。葬儀、告別式は近親者で執り行う。喪主は妻百合子(ゆりこ)さん。 台湾・華興高から名古屋商大、中日の球団職員を経て1989年にドラフト2位で中日入団。尊敬する王貞治氏の一本足打法で94年に38本塁打、107打点で2冠に輝くなど主軸として活躍した。98年に阪神に移籍し、2001年に中日復帰。02年限りで現役を退いた。ベストナイン1度、オールスターゲーム出場3度。 引退後は球団のスカウトとして台湾球界とのパイプ役や少年野球の指導などに当たる一方、名古屋市、岐阜県海津市で中国料理店を経営した。通算成績は1324試合に出場し、打率2割6分6厘、277本塁打、722打点。
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