1945年5月29日。当時、千葉県に疎開していた落語家の桂歌丸さん(79)は、東京湾の対岸に上る黒煙を見ていた。 生まれ育った横浜市が、米軍のB29などによる大規模な空襲を受けていた。自分を育ててくれた祖母は、そこに残ったまま。「ただただうちの者がどうなったろうっていう、そんな心配ばかりでした」 そして8月15日。歌丸さんは周りの大人たちと、ラジオから流れてくる玉音放送を聴いた。「今でも覚えていますよ。えらい暑い日でね。戦争に負けたと聞いてほっとした。しめた、横浜に帰れるって思ったんですよ」。9歳の誕生日を迎えたばかりの少年は喜んだ。 ◇ 迎えに来た祖母とともに帰った横浜は、一面焼け野原だった。歌丸さんの自宅は同市中心部、現横浜スタジアムの近くにあったが、バラックのような家の中に座ったまま、北東に山下公園、南は磯子区の八幡橋が見渡せたという。数百メートル先にある今の横浜中郵便局近くで市電が
![涙や怒りはあっても笑いがない、それが戦争 桂歌丸さん:朝日新聞デジタル](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a08c0c947856b4abdece0165b61bb579f3b81e8a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.asahicom.jp%2Farticles%2Fimages%2FAS20151015000064_comm.jpg)