まぁその..... むにゃむにゃ.... 基本的な論点をうまくまとめておられるのではないでしょうか。 http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20090222ddm015070014000c.html 「先入観を削ぎ落とし「社会」論じ」ようとするなら、ポモ〜「現代思想」的先入見も いっしょに削ぎ落としたほうがよいんじゃないの?、とかとは思うわけですが。 それはさておき。 論点は、こんなことだ。既存の「社会システム論」では、社会を部分に分割し、「原子」に相当する「行為」の意味は当事者個人の心理とされている。個人の行為の総和として社会をとらえられる、というわけだ。なるほど研究者が社会を外から眺め全体を見通せるなら、各人の行為に相対的な意義を付与できる。 ところが研究者も社会の一員にすぎず、社会には外部の世界や内部の集団といった階層がある。外から「全体
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