幼き日の生活は、毎日が楽しい日々だったと思う。 母によると、寿司銀では女児ばかりが生まれる中、私は待望の男児としてこの世に生を受けたとのこと。 祖父は大いに喜んだが、母は「幼い子に過度な期待をかけるのは重荷になる」と激しく怒ったと聞いた。 この出来事が、その後の私の人生に影響を与える一因であったのかもしれません。 父は家を出て、桜井に住居付きの貸店舗を借り、味噌雑炊の店を開く。 営業は夜から深夜にかけて行われ、1階はカウンター席のみ、奥の座敷は両親の部屋で、私は2階に寝床を持っていた。 両親の部屋では、営業前に共に食事を取ることが常。 しかし、私の記憶に深く刻まれているのは食事そのものよりも、デザート。 貧しい暮らしの中で唯一の楽しみだったお菓子、それはパンの耳に砂糖水をつけて食べることだった。 そのパンの耳を口にしながら見たテレビ番組は、アポロの月面着陸の映像。その記憶の次に浮かぶのは、
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