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ブックマーク / note.com/tomotana (8)

  • 小牧市桜井に移り 上街道のエビハラ書店と|n.tom

    幼き日の生活は、毎日が楽しい日々だったと思う。 母によると、寿司銀では女児ばかりが生まれる中、私は待望の男児としてこの世に生を受けたとのこと。 祖父は大いに喜んだが、母は「幼い子に過度な期待をかけるのは重荷になる」と激しく怒ったと聞いた。 この出来事が、その後の私の人生に影響を与える一因であったのかもしれません。 父は家を出て、桜井に住居付きの貸店舗を借り、味噌雑炊の店を開く。 営業は夜から深夜にかけて行われ、1階はカウンター席のみ、奥の座敷は両親の部屋で、私は2階に寝床を持っていた。 両親の部屋では、営業前に共に事を取ることが常。 しかし、私の記憶に深く刻まれているのは事そのものよりも、デザート。 貧しい暮らしの中で唯一の楽しみだったお菓子、それはパンの耳に砂糖水をつけてべることだった。 そのパンの耳を口にしながら見たテレビ番組は、アポロの月面着陸の映像。その記憶の次に浮かぶのは、

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    advblog 2024/05/26
  • ほていやにみる小牧のたこ焼き・お好み焼き:昭和62年(1987年)冬:昭和40年代小牧市に生まれて|n.tom

    ここに表示されている年は、「自分の思い出の年」の基準であって、その当時にあった出来事ではありません。 諸事情により、私のnoteは公開後2週間で有料にしています。予めご了承ください。 ほていやとは小牧には、評判のたこ焼きがあります。 「ほていや」 ソースをつけなくてそのままべる。 外側が少しかため、中はとろ~っとしている。 このお店、いつごろからあったのか覚えていない。 気がついたらあった。 べるようになったのは大学位からだど思う。 2023年現在でも人気にあるお店 小牧のたこ焼き人気のお店「ほていや」がいつオープンしたのか覚えていない。 なぜ覚えていないのか。 実はこのお店のたこ焼き、昔は小牧市では同じたこ焼きを出していた店が何店かあった。 銀だこのようなチェーン店がでてきて、たこ焼きといえば外はカリッとしていてソースでべるのが常識になってきたけど、小牧はちょっと違った。 ほていや

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    advblog 2023/11/04
  • ラッキー健康ランドという施設:昭和60年(1985年)冬:昭和40年代小牧市に生まれて|n.tom

    ここに表示されている年は、「自分の思い出の年」の基準であって、その当時にあった出来事ではありません。 諸事情により、私のnoteは公開後2週間で有料にしています。予めご了承ください。 ラッキー健康ランドという温浴施設大学2年、国道41号線に突然現れた施設、ラッキー健康ランド。 お風呂というものに対して新しい概念を与えた施設。 お風呂を中心としたアミューズメント施設といえばよいのだろう。 今ではあまり珍しくないのだが、当時は衝撃的であった。 最初にラッキー健康ランドを利用したのが、K.F.C.(ケンタッキーフライドチキン)小牧店のアルバイトの帰り 友人と利用したのが最初であった。 ただ風呂に入るだけであるが、深夜という時間が合わさり奇妙なイメージを持った。 ラッキー健康ランドでアルバイト最初は利用者だったのだが、偶然にも母の妹がここの料亭で働くこととなり、私に「年末ラッキー健康ランドの駐車場

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    advblog 2023/10/22
  • ホーエー家電小牧駅前の電気屋さん:昭和52年(1977年)春:昭和40年代小牧市に生まれて|n.tom

    ここに表示されている年は、「自分の思い出の年」の基準であって、その当時にあった出来事ではありません。 この頃の小牧の街の中心は、小牧駅周辺でした。 小牧駅の周辺にはチェーン店、個人店、飲店、販売店大小さまざまなお店がありました。 小牧の駅前はユニーやニューヨークというパチンコ屋と電気屋さん「ホーエー家電」がありました。 ホーエー家電は、白物とオーディオとレコードが販売されていたお店。 当時電気製品を買う時は知り合いの電気屋さんで買うことが多く、今のような大型家電屋で買うことはありませんでした。

    ホーエー家電小牧駅前の電気屋さん:昭和52年(1977年)春:昭和40年代小牧市に生まれて|n.tom
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    advblog 2023/08/20
  • ぞうさんユニー:昭和51年(1976年)夏:昭和40年代小牧市に生まれて|n.tom

    たぶん小学5年になったころである。 友人は沢山いたが、飯田君とはよく遊んだ。当時彼の家は小牧ストアの近くに住んでいた。何故よく遊んでいたのかはわからないがとにかくよく遊んでいたのである。 当時私の移動手段は「けった」(名古屋弁)つまり自転車であった。 東京の子供と違って渋谷や池袋という地域が小牧にはないので、遊ぶと言えば、ショッピングセンター(当時私はデパートと思っていた)の周辺。 小牧のショッピングセンターは主に駅周辺のユニーとジャスコであったが、この頃(正確ではないが)、小牧山の近くにユニーができた。2階建てではあるが売り場の面積は当時小牧一、このユニー、小牧駅と分けるために「ぞうさんユニー」と呼ばれていた、それは「とうや」の所にユニーという名称と「象」のマークがあったからである。

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    advblog 2023/03/05
  • 名鉄小牧線「間内」駅:昭和51年(1976年)春:昭和40年代小牧市に生まれて|n.tom

    小学校5年生 この頃から友人と名古屋に出かけることを始める。 私の自宅から東方 徒歩10分くらいの所に駅がある。 名鉄小牧線「間内」駅 間内駅から、名古屋へ向かうには、名鉄小牧線の終点「上飯田」駅 まで向かい、そこから徒歩で、名古屋地下鉄名城線「平安通」駅ま で行きそこから「栄」ないし「名駅」に向かう。

    名鉄小牧線「間内」駅:昭和51年(1976年)春:昭和40年代小牧市に生まれて|n.tom
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    advblog 2023/02/21
  • カーマホームセンターが突然:昭和50年(1975年)春:昭和40年代小牧市に生まれて|n.tom|note

    ある日突然だった。 小牧市立南小学校から自宅へ帰る、通学路を守らず、友人の家に立ち寄り、友人の家から自宅へ帰る。 友人の家は東海ゴムの裏だった、そこから自宅へ帰る途中は一面の田んぼ。その田んぼにある日突然現れた。 「カーマホームセンター」(現在はスシローになっています) 小学生だった私にとって、よくわからないお店。 スーパー? デパート? ???なんだろう。 お店の中へはいると、日曜大工の商品やら電気の製品やら。 とても不思議な空間。 友人"田谷君"曰く「あんなわけのわからん店はつぶれる、うちのおとうさんがゆっとった!」 しかしみごとにはずれた。 たぶん20年以上あの土地にカーマホームセンターはあった。 しかも、店がどんどん広くなり、品揃えもよくなった。 私はその品揃えの中でも、手作りオーディオ製品が好きで。 当時は丁度オーディオブーム。 なけなしのお金でスピーカー作った。 音は。。両親曰

    カーマホームセンターが突然:昭和50年(1975年)春:昭和40年代小牧市に生まれて|n.tom|note
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    advblog 2023/01/01
  • 小牧駅 近く上本町 すし銀:昭和40年 春:昭和40年代小牧市に生まれて (自分史)|n.tom

    私が小牧市に生まれた頃、小牧の中心は上町(旧 上ノ町)という稲置街道沿い、今で言うなら小牧三丁目でラピオの西側。 稲置街道とは名古屋城と犬山城を結ぶ街道のことで、今で言うなら国道41号線のようなもの? (国道41号線と街道は違うルートです) すし銀店 お店ののれん前のいる祖父と叔母 (すし銀店のあった場所) 上新町には東春信用金庫やジャスコ(岡田屋)があり、味噌鉄さんサワムラ、サワセイ、Vマートなどという大きなお店だけではなく、個人商店もたくさんありました。 稲庭街道は小牧駅から小牧城を結ぶ道路を交差していたため、小牧駅から小牧山方面へ行く人が途中で買い物をする地域ということで賑わっていて、私が生まれた家、すし銀店もこの交差するところの近く、稲庭街道沿いにありました。 出典不明の写真:右にうなぎの角金(現在はカインズホーム前に移転)街道沿いの建物は全国的に間口が狭く奥行きがあります

    小牧駅 近く上本町 すし銀:昭和40年 春:昭和40年代小牧市に生まれて (自分史)|n.tom
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    advblog 2022/12/18
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