亜炭は、「井屑」(いくず)や「岩木」(いわき)、「川木」(かわき)などと呼ばれ、100年以上も前から採掘されており、褐炭の一種で、炭化の度合いが低く、不純物や水分を多く含み、発熱量が低く、主に家庭用の燃料として重宝されました。 鉱業条例の改正に基づいて、明治33年から亜炭として採掘されるようになり、現在の高蔵寺町や出川町などで採掘されていました。第二次世界大戦により、亜炭は燃料としての地位を確立し、戦後も燃料不足から盛んに採掘されていました。 しかしながらその後、経済の復興と貿易の拡大に伴い、燃料は良質なエネルギーへ転換され、効率の悪い亜炭はしだいに敬遠され、昭和40年代までには閉鎖されています。 亜炭廃坑による陥没が発生した場合、特定鉱害※ と認定されれば、国や県が出資している基金により復旧工事が行われます。 ※特定鉱害とは …地表から深さ50メートル以内の採掘跡または坑道跡の崩壊に起因