津波の直後、東北に行った。 帰りに自分にできることを必死に考えた。 未来をつくるために、仕事をつくりだすために、大きな経済効果があるものをもってこないといけないって本気で思った。 東北にオリンピックを持ってきたいと思った。 それから個人的にひとをたどってどうやったら実現できるか考えた。 まず、地元のひとが「欲しい」と思う必要があった。 復旧に心も体もすべてを使うひとたちにその余裕はなさそうだった。 僕はそれでも、2020年になった時のことを考えてほしいと言い続けた。 地元の有力者を訪ね回って説得した。 意見をまとめて、県庁に乗り込んだ。 でもまだそのときの宮城には2020年はまだ遠く、招致の体力も、政治的な意味もからみ、招致の中心になる決意まではたどり着けなかった。 悔しかった。 すべてのひとが賛同してくれるのに実現できないものがある。 そのことが悔しかった。 唯一日