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2008年2月15日のブックマーク (2件)

  • 自分が狭量なのだろう、と思いつつもちょっとむっとしてしまう出来事。

    晩御飯を作って、同居人を呼ぶ→「ちょっと待って」とか何とか言って、すぐにやらなくていいことをしてる→待ってると、「先べてて」とか言う。その時は「分かった」といって先にべ始める。文句も言わない。でも。 でも俺は、自分が作った料理をそうやって冷めてからべられたくない。 別に自分で作って自分でべる分には全然いい。でも人が作ってくれるときくらい、言わないでも卓の片付けとかやって、箸とかお茶とか用意して、出来立てをべて欲しいんだ。というかそうするのが当然の礼儀だと思うんだ。 こういうのは今まで受けてきた家庭の教育方針とかによって一人ひとり違う領域のことなのであまり強く言えないのだけど、でもやっぱり気分はよろしくない。自分の作った料理が無造作に扱われたように思えてしまう。 でも些細過ぎて人には言えない。「冷めるからはやくべよう」とか言うけど。それでは全然言いたいことが伝わらない。なんか

    自分が狭量なのだろう、と思いつつもちょっとむっとしてしまう出来事。
    aida3
    aida3 2008/02/15
  • 小学生に鉛筆を使わせていた理由

    anond:20080213204940 これは小学校勤務の長かった(現在は違う)友人から聞いたんだけど、鉛筆というのは、ペンタイプの道具を使う上で最初に学ぶものとして非常に合理的なんだそうな。 おおよそ、どの鉛筆もそのグリップの太さは一定で、長期的に「持ち方」を習得する上では優れている。コロコロと太さや形状が変わる可能性のあるシャープペンだと、基的な持ち方へ手が慣れてくれない。 また、鉛筆を削ることによって筆の長短が変わるのも、様々な長さや重心に対応できる持ち方が習得できるので良い。それも急激な変化ではなく、基は削った分だけだ。買い換えればいきなり長くなるのだけど。 そして、使ううちに黒鉛が削れ、太さや角度が変わっていくのも、ペン先への対応力に関わってくる。 このように、変化しないグリップをベースに、変化する長さや重心や太さや角度に対応していく理想的な経験が、鉛筆では可能となる。 鉛

    小学生に鉛筆を使わせていた理由