ブックマーク / aokamizu.hatenablog.com (12)

  • 人として大切なものが欠如している父は性格ではなく脳の問題なのでは? - 風のある暮らし

    父との今回の成り行きを振り返って、前から父に対してあった疑惑がさらに色濃くなりました。 実は、父はある種の精神疾患を持っているのではと疑ってはいます。 aokamizu.hatenablog.com 予定通りじゃないと気が済まない そう思う理由はありすぎるのですが。分かりやすい例としては、絶対的な分刻みのスケジュール管理ですね。 父は昔から毎日の予定をきっちり細かく立てて、それを遂行していくのを喜びとしているような部分がありました。なので、自分の思い通りに予定が進まないと激高することがたびたびありました。 どんなことがあっても父のたてたスケジュールは絶対です。 これが子供の頃に父と外出しても全然楽しくなかった理由のひとつでもあります。 ここは5分、あちらは10分、何分にはここを出る。時間を調整するために早足で歩く父を全力疾走で追いかけていた記憶があります。 万が一にでもひとつがズレると全部

    人として大切なものが欠如している父は性格ではなく脳の問題なのでは? - 風のある暮らし
    aisyuudog
    aisyuudog 2018/05/07
    お礼を要求するのは凄まじいな。まさにプログラムが走ってる。二倍速の話面白いな、それがアピールなのか。1人の時でもするのかによるけど。面倒みる必要はないよ、やりたくないならそれが正解
  • 親の好みの子供に育てようとする自分に気づいたとき。いい子って何? - 風のある暮らし

    知らず知らずのうちに、子供を”自分が好きな子供”に近づけようとしてしまうことが私にはありました。今は自覚しているのでずいぶんマシになりましたが、子供がもっともっと小さい頃は”大人の好む子供らしい子供”を子供に求めていました。 大人が好むと思っていた子供像とは ・ハキハキと元気に挨拶ができる ・大人に質問されたら自分の口でちゃんと答えられる ・誰とでも仲良く遊ぶ ・物を貸してあげられる ・ゆずってあげられる これ全部、他人から子供がどう見られてるかという他人からの評価基準です。私はこんなくだらないことが”いい子”だと勘違いしていました。大人の思う”いい子”が育児の正解だと思っていたのです。 大人の人に「こんにちは。いくつ?」と言われてもモジモジして答えられない子供に、「ほら、ちゃんと挨拶してごらん。自分の歳だって言えるでしょう?」と挨拶を強要していました。『挨拶もできない子供に育てている親』

    親の好みの子供に育てようとする自分に気づいたとき。いい子って何? - 風のある暮らし
    aisyuudog
    aisyuudog 2018/04/24
    すげえな良い親じゃん! 挨拶が元気である利点、とかを理解できたらやると思うのだけどな、恥ずかしいが上回れば良い。 発言がしっかり出来る子供時代を過ごせば経験を多く積むことになるから素晴らしい結果になる
  • かわいい、かわいくない。男子の好きなタイプは大人になっても一緒? - 風のある暮らし

    男の子が子供の頃に好きなタイプの女の子って、やっぱり大人になっても変わらないままなのでしょうか。なんて。昨日までドロドロした記事書いておいて、突然なに乙女ちっくな気持ち悪いこと言ってんでしょう私。って感じですが。 子供からダメ出し 先日、子供と町まで買い物に行きました。私がベンチに足を組んで座っていると、私の前に立っていた子供がこんなことを。 「足組んでるとかわいくないからやめなよ。」 ・・・・・・・・・・・へっ?! 思わず「はい」と足を戻して姿勢を正した私。子供にとって足を組む女はかわいくないのか。・・・え?なんで?! 私「なんで足組んでるのがかわいくないの?」 子「だってお母さんは女の子でしょ。だから足組んじゃだめだよ。おじさんみたいじゃん。」 ・・・・・・・・・・・。とりあえず周りに聞かれていないか確認。私が”女の子”なのもアウトだし、おじさんがいてもアウトなので。 私「足組むのって

    かわいい、かわいくない。男子の好きなタイプは大人になっても一緒? - 風のある暮らし
    aisyuudog
    aisyuudog 2018/04/22
    可愛い会話だな、読んでいて面白かった。俺は脚組む女性好きなんだがな、背が高い人が好きだし格好いい系なんだな。 綺麗な文章だった
  • 心を病んだ母との確執。中学・高校は暗黒の時代でした(5) - 風のある暮らし

    現実は予想以上に厳しかった大学受験。受験失敗という文字が頭の中でぐるぐる回ります。けれど、失敗したその先のことは考えられるような精神状態にはありませんでした。 合否の結果 前の記事の通り、女子大は合格しましたが、母に『名前書けば受かるよね』と言われるような大学で、私自身もいまいちな印象の大学に前のめりで行く気分にはなれません。 その次の合否結果は、父と母が一番私に行ってほしかった大学。まあまあ有名な大学。学部も複数受けました。 はい。全落ちです。 まぁ。なんの手ごたえもなかったので、当たり前なんですが。 その後も順調に不合格のお知らせが続きます。受けた分だけ不合格をつきつけられる状態でもはや再起不能な私。怒り狂う母と私を視界にすら入れたくない様子の父。合格は両親のおかげ。不合格は私のせい。仕方がありません。 あと残すところ1大学。もうあのよく分かんない女子大に行くしかないのか。そうぼんやり

    心を病んだ母との確執。中学・高校は暗黒の時代でした(5) - 風のある暮らし
    aisyuudog
    aisyuudog 2018/04/20
    面白かったなー、最後の追い上げは良かったぞ。まさに映画だな、素晴らしい。壊れるところまで行った人間はやべぇな殺し合いが始まるわ、似た親だけで「バトル・ロワイアル」やってみて欲しい。二人で協力するのかな
  • 心を病んだ母との確執。中学・高校は暗黒の時代でした(3) - 風のある暮らし

    大学受験を決めた高2の夏。塾も家庭教師もいない、完全独学スタイルです。スタートも遅ければ、攻略もままならず。でも、”この家を絶対出ていく”というやる気だけはみなぎっていました。 勉強のモチベーション 自分でスケジュールを組み、毎朝5時には必ず勉強をスタートするようになりました。何かが憑依したかのように、朝から晩までひたすら勉強に没頭する私。 最初はどうせ長続きしないだろう、どうせバカなんだから結果なんて出ないだろうと、嘲笑する母。 でも。憑りつかれた人間のパワーは母をも黙らせました。見事に上がっていく偏差値。成績。順位。 この大学でこれを勉強したい!というモチベーションは一切なく、”両親を捨てて自分の人生を生きたい”というモチベーションだけで私の偏差値はみるみる這い上がっていったのです。 両親の反応 目に見えて上がっていく成績。学力だけが判断のものさしである両親。するとどうなるか。 手のひ

    心を病んだ母との確執。中学・高校は暗黒の時代でした(3) - 風のある暮らし
    aisyuudog
    aisyuudog 2018/04/18
    本当に綺麗な色になってきたな、凄いよどんどん書いて欲しいよね。蒸しパンめちゃ旨そう。成績上がって持ち上げてくるってまさに酩酊状態なんだろうな、過去の映像を見て反映?している。恐ろしいよな
  • 心を病んだ母との確執。中学・高校は暗黒の時代でした(2) - 風のある暮らし

    私の父は超学歴主義です。学歴のない人間は”クズ”とみなすような人で、交流があるのも高学歴の人達ばかりでした。母は父に完全に感化されつくしていたので、母も同様の考えでした。そうなると、〇〇家の人間たるもの、当然”大卒”という肩書は必須となるのです。 計算高い女子高生の私 今思うと、よく不良(古い?)にもならず、家出することもなくあの家で高校卒業するまで過ごしたもんだなぁと思います。 そもそも地元が田舎で、今のようにコンビニや満喫といった24時間オープンのお店も一切ありませんでしたしね。徘徊できるような夜の街が存在しなかったことも大きかったと思います。皆知った顔ですし・・・。 それと、私はなんだかんだ計算高かった。ということが一番の理由だったと思います。不良になることや家出は、自分になんのメリットももたらさないと分かっていました。両親のせいで自分の人生を棒にふるなんてアホらしいと思っていたので

    心を病んだ母との確執。中学・高校は暗黒の時代でした(2) - 風のある暮らし
    aisyuudog
    aisyuudog 2018/04/17
    応援してま
  • 心を病んだ母との確執。中学・高校は暗黒の時代でした(1) - 風のある暮らし

    中学・高校のときも、家族でのいい思い出はひとつもありません。家で笑ったこともないですし、自発的に言葉を発することもありませんでした。常に”無”でした。表向きは反抗期と同じようで、実際は全く違う種類のものだったと思います。 このお話はこちらの続きになります。 aokamizu.hatenablog.com aokamizu.hatenablog.com 私の格付け 私は幸か不幸か、超学歴主義の父と母の期待をことごとく裏切り続けたので(主にというか100%学力面で)、『〇〇家の恥』という揺るぎない地位を獲得していました。 姉とは小学生の高学年あたりから高校3年生まで一言も口を聞かない仲に。同じ家に住んでいるのに、8年間くらい目も合わせませんでした。 影では父の不満を言いながら、父の前では常に完璧ないい子ちゃんで、うまく立ち回る姉を『あざとい』と当時の私は姉に対しても嫌悪感を抱くようになってしま

    心を病んだ母との確執。中学・高校は暗黒の時代でした(1) - 風のある暮らし
    aisyuudog
    aisyuudog 2018/04/16
    綺麗な色で書けてる。良い調子なんだと思う、全力で書いていけ!
  • 心を病んだ母との確執。小学生の私は心のよりどころを失う(2) - 風のある暮らし

    私が小さい頃は優しくて大好きだった母が、父と曾祖母の攻撃でだんだんと心を病み、まるで別人になってしまったというお話の続きです。 どうして母は離婚しなかったのか 私は覚えていないのですが、私が小学生低学年のころに、何度も母にお願いしたそうです。「お母さん、お願いだからお父さんと別れて」と。そんな低学年がいるんですね。 私がまだ幼かったころは、母は実際に何度も離婚を考えたそうです。ただ、その時代、シングルマザーとして子供2人かかえて生きていくことは今以上にはるかに大変な時代でした。 しかも母には貯金もへそくりも何もありませんでした。3日の家出すら形見を質に入れなければ実現できないような状況で、子供2人連れて逃げることもできません。 aokamizu.hatenablog.com 母は、私たちを置いて自分だけ逃げることもしませんでした。離婚もできず、父との生活にも耐えられず、私たちのことも捨てら

    心を病んだ母との確執。小学生の私は心のよりどころを失う(2) - 風のある暮らし
    aisyuudog
    aisyuudog 2018/04/15
    皆、恐怖と過去を捨てられないんだよな。今は「メソッド」も確立されているから、もう言い訳は出来ない。それぞれが選んできたのだからしっかり道を歩む必要がある。ゆっくりで良いが最後はゴールにたどり着く必要が
  • 心を病んだ母との確執。小学生の私は心のよりどころを失う(1) - 風のある暮らし

    私が小学生になる少し前から、母の心は少しずつ壊れていきました。今では母が病んでいたんだと理解できますが、その当時の私は、別人のようになっていく母を受け入れることができませんでした。 母にとっても家は監獄 私の地元は、父も母も生まれ育った場所ではありません。身内も友達もいない場所に、父の仕事の関係でその土地に住むようになったのです。 私の祖父母の記事でも少し書きましたが、私が小学高学年まで、曾祖母と同居をしていました。曾祖母はとてもキツイ人で、母をいじめ倒すので、私は大嫌いでした。私とは全然接点がなく、かわいがってもらった記憶もありません。 aokamizu.hatenablog.com 父は曾祖母に育ててもらった義理と恩があるので、曾祖母の言うことは絶対。どんな理不尽なことでも、いつでもどんなときでも100%曾祖母の味方。曾祖母が黒といえば黒、白といえば白。そんな感じでした。 父と曾祖母の

    心を病んだ母との確執。小学生の私は心のよりどころを失う(1) - 風のある暮らし
    aisyuudog
    aisyuudog 2018/04/14
    滅茶苦茶な体験してるな、本に出来る奴。この吐き出しは良いよな、うまく感情を出せてる少し足りないかもだが。相手をカバーせずに憎しみを表現するとマジで癒やされるからな、これからも続けて行って欲しい
  • 家は監獄。子供時代の私と姉の一番楽しかった予想外の思い出とは - 風のある暮らし

    私と姉が社会人になってから、母はそれぞれに同じ質問をしたら、まさかの同じ答えが返ってきてショックだったそうです。 子供にとって大切な思い出は親には予想外だったりする 母の質問「小さかった頃、何が一番楽しかった?」 私の答え「お母さんとお姉ちゃんと家出したこと!」 母、しばらく絶句ののち。 「お姉ちゃんも同じこと言ってた・・・。家族で色んな所に連れて行ったのに!ふたりとも同じこと言うなんて!」 姉の答えを知らずに答えたけれど、あぁ、やっぱりそうだよね、となんだか妙に嬉しかった私。 『楽しかった!!』と声を大にして言えるほど、しっかり覚えている幼少期の思い出は3人での家出だけです。 母が言うように色々連れて行ってもらったのかもしれませんが、そのことは何一つ覚えていません。子供ってそんなものですよね。 こんなに楽しい家出がこの世に存在するのか 私はまだ幼稚園の年長でしたが、今でも鮮明に覚えていま

    家は監獄。子供時代の私と姉の一番楽しかった予想外の思い出とは - 風のある暮らし
    aisyuudog
    aisyuudog 2018/04/12
    キャラ弁当のパンだは、うずら卵と黒豆? 小説っぽくて好き。よんでて面白かった
  • 子供が一番好きな椎茸料理は意外にも炊き込みご飯でした - 風のある暮らし

    椎茸の煮物や椎茸のソテーや椎茸の味噌汁などなど。ご近所さんにいただいた原木椎茸を使っていろいろ試してみましたが、子供が一番『おいしい~!』と唸った料理は、椎茸と油揚げのシンプルな炊き込みご飯でした。 材料 ・お米ー3合 ・椎茸ー大4個 ・油揚げー2枚 ・だし昆布ー5㎝×10㎝ ●塩ー小さじ2 ●醤油ー大さじ2 ●酒ー大さじ3 ●みりんー大さじ4 作り方 ① お米を研いだら、ザルで30分ほど水切りしてお米を1時間ほど浸水させます。 ② 椎茸と油揚げはスライスにしておきます。 ③ だし昆布は1㎝×1㎝くらいの適当な大きさに割っておきます。 ④ 釜に①のお米と●の調味料を全部入れます。 ⑤ 釜の3合の目盛り線よりやや多めに水を入れます。 ⑥ ⑤の上に細かく割っただし昆布を乗せます。 ⑦ ⑥の上に具材を全部入れます。 ⑧ 炊飯して、炊き上がったらご飯と具材を混ぜます。 できあがり。だし昆布は具材と

    子供が一番好きな椎茸料理は意外にも炊き込みご飯でした - 風のある暮らし
    aisyuudog
    aisyuudog 2018/04/11
    これの美味しさがわかるとは、優秀な子供ですねぇ!!!
  • 会ったことのない私の祖父母。負の連鎖を私の代でたちきりたい - 風のある暮らし

    私には、父方の祖父母も母方の祖父母もいませんでした。なので、私は今まで一度も『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼んだことも甘えたこともありません。おじいちゃんとおばあちゃんは、私の憧れの存在だったのです。 父方の祖父母 私にとっての祖母は、父が学生の時に病気で他界。私にとっての祖父が再婚したことで後に追い出される形で、父にとっての祖母と父の兄弟と家を出て暮らし始めたそうです。 後の子供と事内容に差をつけられたり暴力があったり。後の相当な嫌がらせがあったとか。まるで昼ドラのようですね。 祖父も助けてくれなかったことで、父は家を出ると同時に祖父と絶縁。祖父のお葬式にでることもなかったそうで、当然今もお墓参りもしたことがないようです。というのを社会人になって親戚から聞きました。なんとも根深いものを感じます。 父にとっての祖母、つまり私にとっての曾祖母は私が小学生まで健在で、同居していまし

    会ったことのない私の祖父母。負の連鎖を私の代でたちきりたい - 風のある暮らし
    aisyuudog
    aisyuudog 2018/04/10
    応援してるー!
  • 1