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裕仁と國體に関するakakiTysqeのブックマーク (3)

  • 東京新聞:「長く生きても…戦争責任いわれる」 昭和天皇85歳 大戦苦悩:社会(TOKYO Web)

    昭和天皇が八十五歳だった一九八七(昭和六十二)年四月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと元侍従の故小林忍氏の日記に記されていることが分かった。共同通信が二十二日までに日記を入手した。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述している。 日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に掛けていた心情が改めて浮き彫りになった。小林氏は昭和天皇の側近として長く務め、日記は昭和後半の重要史料といえる。 八七年四月七日の欄に「昨夕のこと」と記されており、昭和天皇がこの前日、住まいの皇居・吹上御所で、当直だった小林氏に直接語った場面とみられる。当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減策を検討していた。この年の二月には弟の高松宮に先立たれた。

    東京新聞:「長く生きても…戦争責任いわれる」 昭和天皇85歳 大戦苦悩:社会(TOKYO Web)
  • 昭和天皇「細く長く生きても…」 元侍従の日記に発言:朝日新聞デジタル

    昭和天皇が85歳だった1987年4月、戦争責任をめぐり、「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と発言したとされる側近の日記が残されていることが分かった。昭和天皇に長く仕えた小林忍(こばやししのぶ)侍従(故人)が記したもので、家族が保管していた。 共同通信が小林氏の遺族から日記を入手し、23日、その一部を報道各社に公開した。小林氏は人事院の出身で、昭和天皇の侍従になった74年4月から、香淳皇后が逝去する2000年6月までの26年間にわたって日記を記していたという。 それによると、昭和天皇が戦争責任を気にかける発言が記されていたのは87年4月7日の日記。「昨夕のこと」と記され、昭和天皇がお住まいの皇居・吹上御所で小林氏に語ったとみられる。 日記には、小林氏がその場で、「戦争責任

    昭和天皇「細く長く生きても…」 元侍従の日記に発言:朝日新聞デジタル
  • 侍従日記:「戦争責任言われつらい」晩年の昭和天皇吐露 - 毎日新聞

    昭和天皇が85歳だった1987(昭和62)年4月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと元侍従の故小林忍氏の日記に記されていることが明らかになった。共同通信が22日までに日記を入手した。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述している。 日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に掛けていた心情が改めて浮き彫り… この記事は有料記事です。 残り567文字(全文804文字)

    侍従日記:「戦争責任言われつらい」晩年の昭和天皇吐露 - 毎日新聞
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