叶 精二 「アニメーション」という語が定着する以前、それらは「漫画映画」「線画」「動画」などと呼ばれていました。「漫画映画」という言葉が使われていた1958年、国内初のカラー長編アニメーション『白蛇伝』を見たことをきっかけに、アニメーションの道に足を踏み入れることになった宮崎駿。本稿では「漫画映画」という言葉が広まった過程、また宮崎がアニメーションを開拓してきた先人たちからどのような影響を受けたのか、順を追ってみていきます。 『白蛇伝』ポスター 宮崎駿1 は自らの作品を「漫画映画」と語ることが多い。例えば、以下のような発言がある。 僕は、漫画映画というのは、見終わった時に解放された気分になってね、作品に出て来る人間達も解放されて終わるべきだという気持ちがある。出て来る人間達が無邪気になったというのが、僕は好きなんですよ 富沢洋子編『また、会えたね!』徳間書店、アニメージュ文庫、1983年、