「差別心は誰にでもある」「気づかず差別をしてしまう可能性がある」という現実と向き合うことと、「差別の行為や言動を、自由や多様性のもと容認する」ことは全く違う。「差別は絶対に許されない」という共通認識のもとでこそ、内面の差別心や文化に織り込まれた差別意識をどう考えるか議論できる。
「差別心は誰にでもある」「気づかず差別をしてしまう可能性がある」という現実と向き合うことと、「差別の行為や言動を、自由や多様性のもと容認する」ことは全く違う。「差別は絶対に許されない」という共通認識のもとでこそ、内面の差別心や文化に織り込まれた差別意識をどう考えるか議論できる。
「抗議」へのカウンターが「興味なし」というところから見ても、俗に「右傾化」「保守化」と言われる現象の本質は「私化」の深化だと改めて思う。それは私生活を豊かにしようという志向にとどまらず、自らの私生活を専らの価値基準とし、私生活を超えたもの、豊かにしないものを忌避・拒絶するものだ。
反リベラリズムの人の中には、左派・リベラル=他者への配慮を私生活にまで押し付けてくる抑圧=全体主義、右派・保守=体制に歯向かわなければ個人の私生活には干渉してこない=個人主義、というとらえ方をしていることがあります。 保守が個人主… https://t.co/KwS2B2SHK2
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