墳丘の周囲に敷かれた切り石の並んだ形状から、八角形墳とわかった牽牛子塚古墳=奈良県明日香村、渡写す 大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=天智天皇)の母、斉明(さいめい)天皇(594〜661)の墓との説がある奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(国史跡)が、当時の天皇家に特有の八角形墳であることが確認された。明日香村教育委員会が9日、発表した。墳丘全面が白い切り石で飾られ、内部の石室も巨大な柱状の切り石で囲われた例のない構造だったことも判明。斉明天皇は巨石による土木工事を好んだとされ、被葬者が同天皇であることがほぼ確実になった。 明日香村教委は、飛鳥地方の古墳群と藤原宮跡の世界遺産登録に向け、牽牛子塚古墳を昨年9月から調査。墳丘(高さ約4.5メートル)のすそは上からみると八角形状に削られており、北西のすそから3辺分の石敷き(長さ約14メートル)が見つかった
原宿駅のホームから北側を見ると、右手に宮廷ホームが見える=東京都渋谷区のJR原宿駅現在のお召し列車。原宿の宮廷ホームから使われたことはない=2008年11月、東京都台東区のJR上野駅、代表撮影 東京都渋谷区のJR山手線原宿駅の北側に、黄緑色の屋根の小さな駅がある。「宮廷ホーム」。皇室専用の特別の駅だ。天皇陛下の静養の際などに「お召し列車」が発着していたが、9年以上使われていない。周囲を白い壁で囲まれた入り口の門扉は閉ざされたままだ。 原宿駅の竹下口から代々木方面に約200メートルほど歩くと、宮廷ホームの入り口がある。周囲を囲まれていて、すぐにそれとは気づかない。 JR東日本によると、完成は1925(大正14)年10月。体調が悪化した大正天皇が移動する際、人目につかずに乗降できるように造られたとされる。翌26年、大正天皇が神奈川県の葉山御用邸への移動のため初めて使った。 施設の概
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