タグ

折口信夫に関するakakitのブックマーク (2)

  • 安藤礼二「折口信夫」書評 画期的な天皇論、新資料交え分析|好書好日

    折口信夫 [著]安藤礼二 総索引が付いた全集ばかりか講義録まで完備している。個人の思想を研究するのに、一見これほど恵まれた環境はない。けれども、いったんその「森」に足を踏み入れるや、あまりに蒼(うっそう)としていて方向感覚を見失ってしまう――折口信夫とは、そんな思想家だ。一体これまで幾人が踏破を試み、失敗を重ねてきただろうか。 安藤礼二は、2002年に「神々の闘争――折口信夫論」を世に問うて以来、一貫して批評家としてこの巨人と向き合ってきた。テキストを厳密に読み抜き、読み破った者でなければ見えてくることのない新たな地平を、独力で切り開いてきたのだ。書は、10年以上にわたる安藤折口論の集大成として大きな意味をもつ。 第1章から劇的である。これまでの研究で空白のままだった大学時代に、折口は荘幽蘭(ゆうらん)という女性と出会い、神風会という神道系の団体と関わっていたことが、新資料を交えつつ

    安藤礼二「折口信夫」書評 画期的な天皇論、新資料交え分析|好書好日
  • 西宮の傀儡師④ | 妄想オムライス

    西宮操りの終末 やがて産所村にあった操り芝居の小屋は西宮札場筋の北、今在家に移され、天保の末ごろには操り小屋から普通の芝居小屋となり、逆にこれを借用して上演するようなことにもなり、たがてこの小屋も取りこわされてしまう結果となる。 また、明治に入って一時わずかに技を伝えた吉田吉五郎(通称、人形吉)芸名吉田伝吾は、技倆は相当見るべき者であって、十数人で一座を組織し、毎年、春秋に灘目一帯から三田・名来・昆陽・池田方面へ巡業していった。 はじめに「三番叟」を出し、つぎに「太閤記」、「朝顔日記」・「阿波の十郎兵衛」などのうちで得意とする段を演出した。浄瑠璃語りはその土地土地の者を採用した。 伝吾は明治十二年三月に七十歳で終わった。跡目はその弟子吉田小六(名、越木音松)が継承して、明治十四年、戎社の屋根替え完成祝いの時に境内で十日間も巡行したが、その後はとかく不振で、まもなく廃業したといわれている。

    西宮の傀儡師④ | 妄想オムライス
  • 1