2012年10月10日のブックマーク (7件)

  • (最終)12月 一般意志2.0 読書記録

    (著者)東浩紀(批評家、講談社月刊宣伝誌「」連載中(09年12月号~)) <きっかけ> ルソーの「一般意志」という、民主主義とも独裁とも親和性があるとされている概念が、世界中の無意識を可視化できる総記録(検索)社会の出現で新しい価値を発揮するとし(一般意志2.0)、それに基づく社会や政府のあり方(政府2.0)について構想する意欲的な論文。(著者の独創ではないが)「プラットフォームとしての政府(政府2.0)(であるべき)」という考え方はとても魅力的だ。 <概要> ・「ルソーは、一般意志も全体意志も特殊意志(個人の意志)の集合だが、全体意志が特殊意志の単純な和でしかなくしばしば誤るのに対し、一般意志は単純な和から相殺し合うものを除いた「差異の和」(数学的概念)であり決して誤らない、と述べる。ルソーの一般意志は「世論」や「民主主義」とはだいぶ異なる。ルソーは条件によっては一般意志の執行には民主

  • 地域主義比較への法的視座

    H O P O L O G Y R E S E A R C H <待って>、<遅れ>て、<つまず>いて ―希望・時間・挫折― 宇野重規 2007 年6月 ディスカッション・ペーパーについて 許可のない転載・引用等の利用はご遠慮下さい。 第 12 回希望学セミナー 2007 年 5 月 8 日 <待って>、<遅れ>て、<つまず>いて:希望・時間・挫折 報告者:宇野重規氏 宇野:フランス政治思想を専門にしております宇野です。希望学プロジェクトとして色々 な調査をやってきましたが、そろそろ希望学というのはどういう学問なのかという理論武 装といいましょうか、一歩一歩議論をつめていく為のステップとして今日の報告をさせて いただきます。 今日のタイトル「<待って>、<遅れ>て、<つまず>いて:希望・時間・挫折」は、 最近希望という問題を理論的に深めて考えて

    akakuma_2012
    akakuma_2012 2012/10/10
    宇野重規
  • 書評 「国富論」

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    akakuma_2012 2012/10/10
    読書
  • 書評 「私時代のデモクラシー」

  • 種村剛(TANEMURA Takeshi)

    種村剛(TANEMURA, Takeshi) 更新日:2011年04月18日   □このHPは、「責任」、「自己責任」およびその周辺概念、そして講義等に関係する情報を整理しています。 □文献引用部分を引用する場合、このHPから直接おこなうことをせず、必ず当該文献にあたって確認した上で、おこなってください。 □2011年3月11日、大きな地震がありました。防災ボランティア等に関連するHPをいくつか挙げていきます。 ◇首相官邸災害対策ページhttp://www.kantei.go.jp/saigai/ ◇内閣府防災情報のページ→http://www.bousai.go.jp/ ◇内閣府防災ボランティアのページ→http://www.bousai-vol.jp/ ◇災害ボランティア活動支援プロジェクト会議→http://www.shien-p-saigai.org/ ◇全社協 

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    akakuma_2012 2012/10/10
    政治思想
  • アーカイヴⅡ①

    1 はじめに そもそも生権力という概念は、17~19世紀の西洋社会とそこに生じたある種の変化を分析するためにフーコーが用いた概念です。ここまでは特に問題はないでしょう。歴史的事実や分析方法の妥当性を問題にすることはできるでしょうが、彼の論旨はそれなりに一貫しています。 しかし、特定の歴史的段階に限定された分析概念という枠を超え、現代の世界を捉えるため、そしてある種の批判を行うためにこの言葉が使われる時、僕はいつも戸惑いを感じてきました。簡単に言えば、それは、「権力」という言葉で何が言われているのかよくわからないということです。 この困惑は、おそらくフーコーの議論が既存の(そして現在でもいまだ)一般的な権力イメージを覆すものであることから来ると思われます。特定の意図を持つ中心的な人物や組織が存在し、それが自らの意図に従って人々が行為し生きていくように強制する力を持つ。こうした図式が権力

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    akakuma_2012 2012/10/10
    フーコー