この人の『TOKYO STYLE』を見たときは、やられた。湾岸戦争の余波がやまない一九九三年あたりだったか、分厚いカラー写真集で、京都書院が版元(のちに倒産した)、一二〇〇〇円だった。一〇〇空間くらいのアパートの部屋のカラー写真ばかりがぎっしり詰まっていた。ひとつとして整然とした部屋はない。 住居人はDJ見習い、サーファー、マンガ家、カメラマン、オーディオメーカーに勤める若めの夫婦、デパート店員、いろいろだ。部屋はすべて乱雑、雑然、混雑していて、壁にも机にもトイレにも窓際にも玄関にも、その住人のフェチな愛着が所狭しとこびりついている。 その部屋を三点から六点ほどのカットで撮影してある。すべての写真にキャプションがついていて、それが心やさしい応援歌か、弁護団の説明のようになっていた。そこには有機的混沌があった。超文脈的文物共鳴があった。これは、やられた。こういう写真集こそ、見たかった。 都築