──F岡さんが1000号おめでとうっていうのは変ですかね? F岡:いや、おめでとうございます。僕の離脱した後によく1000号まで続けてくれたなって、今、もう感謝の思いでいっぱいです。 ──創刊の思い出から語っていただけますか? F岡:創刊……基本的につらいことだらけだったよね。とてもプレッシャーのかかる日々だったんですよ。もう時効だから言っていいと思うんだけど……、当時のアスキーは資金に困ってたわけです。それこそ'97年5月に一般誌の『週刊アスキー』が終わって、要はリストラの真っ最中だったわけ。それから事業にCSKグループも関与してきて。 ──なるほど。 F岡:昨日まで書籍の編集やってた編集者たちが、どういうわけか十何人も営業の部隊に回されたりして、とにかく駅のキヨスクやコンビニを回る。俺がやったわけじゃないよ? 当時の経営陣がやったんだけど、ひどいよね……と思いつつ。でも、その人たちがパ
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