ベルトを外す金属音がトラウマに 当時数え年で18歳。最年少で性接待に出さされた照子さん(仮名、88)は、東京郊外の街に暮らしていた。同居家族に聞かれると困るからと外で待ち合わせたが、喫茶店にも入ろうとしない。以降、照子さんとは交流を続けているが、いつも人目のつかない場所を彼女は選んだ。 照子さんは戦後、黒川開拓団の遺族会とは距離を置き、集まりに一度も顔を出したことはない。ただ、同じ開拓女塾で学んだ豊子さんとだけは、たまに手紙のやりとりをしていたそうだ。 彼女は豊子さんとは異なる思いを、黒川開拓団に対して抱いていた。 「開拓団にいい思い出、ひとつもありません。集団生活に入るでしょ。これが日本人か!って思った。言うことを聞く者はいいけど、よそ者扱いは見え見えでやるしね」 照子たち一家は、継母のつながりから開拓団に加わった。だが、満州にわたってから父母は離婚。叔父も開拓団にいたが、団幹部の男性ら