日本のモータースポーツに大きな足跡を残した「国さん」 今年3月16日、国内モータースポーツのシーズン開幕直前に、SUPER GTで活躍する「チーム国光」の総監督だった高橋国光さんが亡くなりました。ホンダのワークスライダーとして2輪ロードレースのワールドGPで優勝を飾り、また4輪レースに転向してからも天才肌のトップドライバーとして活躍。1999年に現役を引退したあとは、自らが興したチーム国光の総監督としてSUPER GTでも王者となるなど、さまざまな立場からモータースポーツで活躍され、レース関係者のみならず多くのファンから「国さん」の愛称で親しまれてきました。そんな国さんの足跡を辿ります。 初レースの少年がセニアライダーを打ち破る まだ第二次世界大戦の開戦前だった1940年(昭和15年)に、東京都小金井市(当時は東京府北多摩郡小金井町)で生まれた国光少年は、18歳のときに2輪のロードレースに
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