ブックマーク / brighthelmer.hatenablog.com (6)

  • 「ポスト事実」の時代をいかに越えるか - 擬似環境の向こう側

    「ポスト真実」は使いづらい 今年も残りわずか…と書こうと思っていたら、年が明けていた。 ということで、2017年最初のエントリは流行語ともなった「ポスト真実(post-truth)」について考えたい。 正直に言えば、「ポスト真実」というのは使いづらい言葉だと思う。この言葉が使われるようになった発端は、事実に基づかない発言が大々的に行われたり、ネット上のデマサイトが多くのアクセスを集め、虚偽情報が流布するようになったことにあるのだろう。 だが、それ以前には真実の情報が流通していたかと言われると、ちょっと首をかしげてしまう。そもそも、真実とはやっかいな言葉なのだ。 「真実はいつも一つ!」ではない ここでまず注意したいのは、事実と真実とは異なるということだ。事実とは、一般には誰の目から見ても明らかな事柄や出来事を指すように思う。物騒な例えを用いるなら、AがBを刺したとする。この場合、何をどう解釈

    「ポスト事実」の時代をいかに越えるか - 擬似環境の向こう側
    akupiyo
    akupiyo 2017/01/04
    “ポスト事実の時代においては、そうしたプロパガンダ技術の洗練はどこへやら、間違っていようと何だろうとターゲットに悪印象を与えられれば良しという旧時代的な感覚が蘇ってきたということなのかもしれない”
  • 大学生はなぜ勉強したほうがよいのか - 擬似環境の向こう側

    社会学部の同僚である藤代先生が大学1年生に向けて、大変に熱いエントリを書いておられる。 gatonews.hatenablog.com 在学中も、そして卒業したあとも、学び続ければ就職や仕事で可能性が広がっていくというのは正論だろう。大企業にさえ入れば一生安泰なんていう時代でもない。 が、「だから勉強しろ」というところで、ぼくは少し気後れしてしまう。理由を考えるに、ぼくのなかにどうやら「ダラダラした学生生活」に対する憧れがあるようなのだ。 「ダラダラした学生生活」とは 浪人生をしていたころ、漫画家・東海林さだおさんの自伝『ショージ君の青春記』(文春文庫)というを読んだことがある。「女の子にもてたいからロシア文学科」というめちゃくちゃに意識の低い学生だった東海林さんは、早稲田大学入学後に漫画家を目指すも挫折を繰り返し、結局は中退してしまう。このを読む限り、東海林さんの大学生活は大変にだら

    大学生はなぜ勉強したほうがよいのか - 擬似環境の向こう側
    akupiyo
    akupiyo 2016/04/22
    “その面白さを知らないまま大学を卒業していくのは、もったいないと思うのだ。”
  • ぼくの良識 - 擬似環境の向こう側

    自分で言うのも何なのだが、ネット上でのぼくはわりと良識的なのではないかと思う。 ツイッターやブログでも攻撃的だったり差別的だったりすることはなるべく書かないようにしているし、ぼくが書いたものを読んで傷つく人がいなければいいなとも思っている。もちろん、書いているものが下らない、内容がない、間違っている等々の批判はあるとは思っているが、それとこれとは別の話だ。 そんな良識的なぼくのことだ、ツイッターでフォローしている人たちも良識的な人たちばかりだ。政治的な書き込みは多いけれど、人を差別したり中傷したりする人はいない。ただ最近は、ぼくがフォローしている人のあいだでいざこざが多いのが気になると言えば気になる。 そんなぼくのタイムラインをさいきん賑わせているのが、「反差別や平和を掲げているのに差別的だったり、攻撃的だったりする人」に関する話題だ。ぼくも以前のエントリで、そういう人たちを批判したことが

    ぼくの良識 - 擬似環境の向こう側
    akupiyo
    akupiyo 2015/11/26
    良記事。 “1分間のあいだに5~10ツイートぐらいの勢いでヘイトツイートが量産されているのがわかる。自動でヘイトを撒き散らすボットが動いているのだろう。それが、2015年の日本のインターネット。”
  • 「命の軽さ」が与えてくれるもの - 擬似環境の向こう側

    ずっと以前、「人口の多い中国では、命の重さが日とは違う」という趣旨の文章を読んだことがある。いまでもネットで検索すれば、そういう文章をすぐに見つけることができる。 しかし、当にそうなのだろうか、とも思う。子どもを喪った中国人の父母は「じゃあ、また新しく子どもを作ろうかね」とドライにさっさと切り替えられるものなのだろうか。 メディア上での命の重み 命の重さ、という点で言えばメディアの扱いもずいぶんと違う。 13日の夜にフランスのパリで発生したテロ事件。日ではメディアの対応が遅い、小さいという批判もあるが、それでも『朝日新聞』の14日夕刊と15日朝刊の一面はパリのテロが飾った。Facebookを眺めていても、フランス国旗をモチーフに自分のプロフィールをトリコロールにしている知人が何人もいる。フランス国民との連帯の意思を表明しているのだろう。 その一方で、パリでテロが起きる前日、レバノンの

    「命の軽さ」が与えてくれるもの - 擬似環境の向こう側
    akupiyo
    akupiyo 2015/11/16
    前日起こったベイルートの連続自爆の記事 ”文字数にして136字。1ツイートに収まる。”
  • 言葉のブーメランが返ってくるとき - 擬似環境の向こう側

    ネット上ではやたらと攻撃的なひとが少なくない。 とにかく他者や他集団に対して攻撃的な書き込みをする。それも一つの芸風だと言ってしまえばそこまでだが、そういうひとは防御力が弱くなることも多い。 というのも、誰かを攻撃するためには何らかの理由が必要だからだ。「こんなに酷いことをする(言う)なんて」という理由によってひとは他者や他集団を攻撃する。だが、攻撃をする回数が増えるほどにその理由づけも増えていく。結果、自分自身の行動がそれに当てはまってしまう可能性がどんどん上がっていくのだ。そうなれば、自分自身の言葉がブーメランになって返ってくることもそれだけ多くなってしまう。言論戦において「攻撃は最大の防御なり」は必ずしも妥当しない。 もっとも、言動の一貫性など最初から気にせず、他人からそれを指摘されたとしても無視すればよいだけなのかもしれない。しかし、そういう人は他人からも「そういう人」だと見なされ

    言葉のブーメランが返ってくるとき - 擬似環境の向こう側
    akupiyo
    akupiyo 2015/03/16
    " 自分たち自身が仮想敵と同じ状況に置かれたらどうなるか、あるいは逆に仮想敵が自分たちと同じことを言い出したらどうなるのかを考えることで、ダブルスタンダードやブーメランを避けやすくなる。 "
  • ガッサン・ハージ『希望の分配メカニズム』 - 擬似環境の向こう側

    ガッサン・ハージ、塩原良和訳(2003=2008)『希望の分配メカニズム パラノイア・ナショナリズム批判』(お茶の水書房)というを読んでいる。基的にはオーストラリア社会についての分析なのだが、読んでいると今の日社会の状況との類似に驚く。以下で少し紹介してみたい。 ハージはオーストラリアが「戦時社会」化していると主張する。戦時社会では「わたしたちに味方するか、さもなくばおまえは敵だ」という二分法が蔓延する。「味方」になるためには、思考停止し、ただ命令を実行することが求められる。そのため、「実行することについて考えること」を生業とするような業種、つまり批判的知識人などは格好の攻撃の対象となる。以下、引用してみよう。 「こうした状況のなかで、実際に(社会のあり方について:引用者)反省したり批判したりしようとする人々は、『現実生活』とは無縁のおしゃべり屋だと、みなされるようになる。つまり、『

    ガッサン・ハージ『希望の分配メカニズム』 - 擬似環境の向こう側
    akupiyo
    akupiyo 2013/10/17
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