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ブックマーク / fenestrae.hatenadiary.org (2)

  • アルベール・カミュ、1945年8月8日付け『コンバ』紙社説 - fenestrae

    1945年8月6日の広島への原爆投下のニュースを受けて、アルベール・カミュは、8月8日付けの『コンバ(Combat)』紙に、それを取り上げる社説を書いた。『コンバ』はもともとレジスタンスの地下新聞だったものが、終戦により日刊紙になったもので、カミュは1943年から編集に参加、45年当時は主筆を務めていた。 原爆投下直後に書かれたこの社説は、フランスでは、知識人の同時代証言として、高校の歴史の教科書で抜粋が収められたりして、かなり有名なものだ。たぶん日語にも訳されており、何かには収められていると思うが、ネットで検索しても、訳はおろか、引用も社説の存在への言及さえもほとんど見られない。知識人カミュにについてのはやりすたりということもあろうが、原爆の人類史への影響の歴史をを見る上で古典的ともいえるこの文章が、日のネット世代の人々の目に触れないのは惜しいので、以下に訳出する。ある程度くだいて訳

    アルベール・カミュ、1945年8月8日付け『コンバ』紙社説 - fenestrae
    akz
    akz 2006/07/11
  • 2005-11-26

    昨日はじめたリベラシオンの座談会の記事の翻訳の続きに取り掛かる前に、ル・モンドのネット版をひとわたり見ようと思ったら、一面に、えっ?と驚く見出しがあった。座談会で扱われている問題にもかかわる重要なことなので、ひとまずこちらの紹介を優先することにする。 実は、騒動の途中からいらついていたことがある。「若者」と呼ぶにせよ「ごろつき」と呼ぶにせよ、これに参加している者たちの実体がよくわからない。そしてちゃんと報道されない。バンリュウからのテレビの取材シーンに登場するのが、そうした地域に典型的にみかける移民第2,第3世代の若者の雰囲気を持っているのはわかる。が、そこに写っているのは必ずしも騒動に積極的に参加しているものとは限らない。実際に炎上している事件現場のシーンはまれなので、特定のものだけが繰り返される*1。どちらにしろ火つけの現場の者たちはすっぽりと顔を隠している。そして、逮捕・補導された若

    2005-11-26
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