七里が浜遭難事件もう一つの哀話=宮内寒弥 稲村ガ崎の海浜公園に、海に向かって二人の少年の立像が建っている。これは明治43年に逗子開成の学生12人が、七里ガ浜の沖合いでボ-トが、転覆して遭難したのを弔い、55年忌と開校60周年を記念して、学園内とともに建てられたものである。この痛ましい事件は学生最初の遭難事件として、当時の世間の耳目を集めた。それとこの惨事を題材にして「真白き富士の嶺」として歌われたり、映画化されたりして、広く知られるようになった。 宮内寒弥は小説「七里ガ浜」を書いた経緯を「この事件の責任者の一人であった亡父とその息子である私が、事件から受けた直接または間接の影響を追跡調査して、人生の終末を迎えるための身辺整理とするためであった。」としている。 寒弥の父親は遭難事件があった当時、逗子開成に赴任したばかりの地理、歴史の教師で、舎監でもあった。偶々其の日は転任する同僚を見送りに行
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く