一人称小説、「ぼく」とか「わたし」が語り手となって書かれるお話では、主人公が知りえないシーンは描写してはいけないことになってます。これは小説ではかなり厳密に守られているようで、わたしのような一般読者でも知っている法則です。「ぼく」が語ってるはずの小説が、突然、神の視点で描写をしはじめると、これって何かのトリックじゃないのかと疑ってしまうくらい。 ところが映画やTVドラマになると、このあたり寛容になります。これは映像による作品が、「映像として」一人称視点を徹底するのが困難だからですね。 厳密に主人公が「見ている」画面だけで作品をつくろうとすると、画面内に主人公が登場しないことになってしまって、ちょっと困る。通常、映像作品の一人称は、主人公が体験し見聞きしたことだけを描写するのがお約束。主人公は画面内に登場してもオッケー、みたいです。映像作品の一人称は小説に比べると徹底しておらず、擬似的な一人
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