前回(http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20070227#p1)のつづきです。 ● 第一部第一章 技術進化の諸理論 「技術と時間」というテーマに取り組むその手始めとしての時間のなかの技術という観点から、スティグレールが最初に取り上げるのは、特定の時代における技術の総体を強い内的連関を有したシステムとして捉えるベルトラン・ジルの技術論である。ジルは技術を一つのシステムと捉えることで、それ自身のうちに内的論理を有し、外部からの影響には還元されえない独自の発展原理を有するものとして技術を描き出した。そのようなシステムとしての技術は、経済、政治、文化といった他の社会システムとの間に絶えざる齟齬を生み出しながら、社会そのものに変化への圧力を与えつづけていくものとして理解される。またジルは、技術システムが経済システムと緊密な関係を結び、経済的な動機づけが技術システムの発
● 前口上 とある事情があり、ベルナール・スティグレールの『技術と時間』を詳細に読み直す必要が出ました。ということで、『技術と時間』を読みながらそれについてコメントをつけていくことにします。まずは第一巻。まだ邦訳がないので、それなりに情報的価値のあるものになるのでは、と思っています。 ・方針 1、できるだけ自分の解釈は挟まずに、読んだだけで「スティグレールは『技術と時間』でこんなことを述べている」と知ったかぶりできるような文章にすること。 2、少々無理をしてでもコンパクトな分量にすること。 3、登場するいろいろな議論のコントラストを明確にすること。 →つまりは、「使える」文章にする、ということです。 ・形式 それぞれの章ごとに、コンパクトかつ簡明な文章で、その章がどのようなことを述べているかを説明していく。 ・『技術と時間1 エピメテウスの過ち』の目次 全体のイントロダクション 第一部 人
講演とシンポジウム > 技術と時間 ベルナール・スティグレールの思想をめぐって 国際シンポジウム(05年12月17日〜19日) 技術と時間 ハイパー産業時代に立ち向かう哲学 ベルナール・スティグレールの思想をめぐって 「象徴的貧困」の診断から「民主主義の頽落」の告発へ、情報テクノロジー文明を根底的に批判し、「精神の政治学」を提唱する、『技術と時間』の哲学者ベルナール・スティグレールを招き、「ハイパー産業時代に立ち向かう哲学」を討議する。 ■12月18日(日) ※同時通訳付き シンポジウム「精神のテクノロジー、精神の政治学」 東京大学教養学部 18号館ホール 東京都目黒区駒場3-8-1 >>アクセス >>学内地図 第1部 10:00〜12:00 導入講演「情報文明の中の居心地の悪さ」 石田英敬(東京大学大学院情報学環教授) 基調講演「ハイパー産業時代に立ち向かう哲学
ベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler, 1952-)*1 デリダ派の技術哲学者。コンピエーニュ工科大学勤務(COSTECH研究ユニットのディレクター)を経て、フランスの放送協会である国立視聴覚研究所(INA)所長、IRCAM(イルカム。音響研究所)所長を歴任し、フランスのメディア政策の中枢を担う。 著作に、『Technics and Time 1: The Fault of Epimetheus』(ISBN:0804730415)、『Echographies of Television: Filmed Interviews(テレビのエコーグラフィー)』(デリダとの共著。ISBN:074562037X)などがある。『Echographies of Television』は、2004年末に邦訳が刊行される予定。仏語版書籍については、amazon.fr を参照。 IRCA
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く