2023年4月8日のブックマーク (2件)

  • 4.3.b 森を出たサシャのアイデンティティと自由 (下) ~ わたしの内なる声としての自由 - 進撃の巨人・自由論

    「上」から読んでね! unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com 村に取り残された少女への共感 サシャが自由人なようでいて、実は居心地悪さをこらえ、自分を押し殺しながら森の外の人間たちと接していたということは、すでに見ました。 時は移り、巨人が出現した村に取り残された少女(カヤ)を、サシャが助け出そうとする場面に戻ります(36話)。 奇妙にも、少女は窮地のなか、まるで焦りも恐怖も感じていません。 サシャが「もう大丈夫」と言えば「何が?」と聞き返し、馬が逃げたせいで慌てふためくサシャを見れば「何でそんなしゃべり方なの?」と尋ねるという、どうにも変な調子。 不意に少女は、事情を説明します。足の不自由な母親とともに、自分は隣人に置き去りにされたのだと。 だからもう何をしても無駄だと言わんばかりに。 どうやら、絶望と、差し迫る恐怖とに耐えきれずに、少女の心は、外界に対して

    4.3.b 森を出たサシャのアイデンティティと自由 (下) ~ わたしの内なる声としての自由 - 進撃の巨人・自由論
  • 4.3.a 森を出たサシャのアイデンティティと自由 (上) ~ わたしの内なる声としての自由 - 進撃の巨人・自由論

    unfreiefreiheit-aot.hatenablog.com サシャの欲と内なる感情 アイデンティティと自由というテーマについて哲学者大放出による解説を終えたところで、『進撃』の登場人物の考察を続けましょう。 そろそろ、かのじょにも出てきてもらわねばなりません。 ある意味では作中一番の自由人、サシャ・ブラウスです。 15話「個々」 サシャはその怒涛のごとき欲という設定を活かされて、コメディーリリーフの役回りが多いですが、でもそんなサシャの欲というギャグ要素ですら、自由の考察に含められなくもありません。 一般に哲学者は、欲をはじめとする能的な欲望に従うことを辛口に評価しがちです。 他人にだけでなく、自分の情念に支配されることも自由の喪失だと考えるのです。 でも、べなきゃ死んじゃうのが自然の定め。欲を満たすこと自体に罪はありません。それに人間の事は、能の充足のみならず

    4.3.a 森を出たサシャのアイデンティティと自由 (上) ~ わたしの内なる声としての自由 - 進撃の巨人・自由論