ブックマーク / nov1975.hatenablog.com (3)

  • 三木谷発言を否とするのは「誌面」という枠が崩壊しているから - novtan別館

    ウェブ時代になって、情報発信については難しくなった面もあります。特に既存のメディアにおける発信力のある人ほど。それは、「読み手を選べない」ということです。 3流ゴシップ誌ならゴシップ誌なりの、スポーツ紙ならスポーツ紙なりの、写真週刊誌なら写真週刊誌なりの、それぞれの読者がいて、多少おかしなことを書こうが読者がそれを期待していて、所詮その読者の人数分にしか影響力がない、となれば大した問題ではなかった、というのがウェブ以前。ところが、そういう紙面という「枠」ではなく、記事単体、ともすればセンテンス単体がみんなにシェアされてしまうというのがウェブ時代。 そんななかでは、新聞記事やビジネス誌もその例外ではありません。 みんな朝日だ産経だなんだといいますけど、ウェブ時代以前に所要新聞の方向性を把握していてそれぞれについて批判できた人ってどのくらいいるんでしょうかね。 さて、楽天koboをめぐる三木谷

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  • なんでもいじめ脳 - novtan別館

    いやー、こういう事件があるとだいたいそういうことをいう人が出てくるよね。 「よってたかってなんか言うのはいじめ」みたいな。 そんな事言ったら日政治の中心たる国会だっていじめだぜ!多数決はいじめ!民主主義はいじめ! 極端な話はいいとして、例えばウェブでなにかアホなことを言った人をみんなで叩くのはいじめか。いじめをしていた人にみんなで仕返しをするのはいじめか。 線引きはとてもむずかしいとは思う。 個人的な基準としては、いじめであるためには「理不尽である」「度を超えている」ことが必要だろうなと思う。度ってのは変動するね。 たとえば、いじめの報復がいじめになってしまうのは、報復を果たしたあと(つまり、「思い知ったかこの野郎」の後)、許しを与えずに報復し続けるようなもの。いじめがどのくらいの傷を与えてどのくらいで報復に足るのか、というのが難しいからなんとも言いがたい面はあるけれども、「許す」とい

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    amazedkoumei
    amazedkoumei 2012/07/16
    いじめの理由が主観か客観かでわけるとどうよ?
  • 第2次インターネット開拓時代の終わりとこれから - novtan別館

    ここ1ヶ月に沢山のウェブ的事件が勃発した。これを時代を象徴する事件と捉えると、これまで続いてきた第2次開拓時代(勝手に命名)の終わりが近いのかな、と思う。第1次がインターネットの一般化(1995〜)とすると、第2次はGoogleとウェブアプリの隆盛(大体2001〜から2003〜スタート)、ここから今に至るまでにクラウドによるスタートアップの簡素化やらなにやらありますが大雑把に捉えるとこんな感じだと思う。ダウンロード違法化も時代の終わりの一つの象徴だろう。 開拓時代というのは、色々なものが未整備で、とにかく先に進むという価値観が何よりも優先されるもの。行く手には(実は先住民がいたりはするものの)文明はなく、法律も実質的には機能せず、先行者利益がとにかく大きい世界。秩序を保つのは簡単ではなく、必要悪として私的なルール、他者の排除、そして戦争が許容される世界。 とにかくやる、というのが優先される

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