美人タイプの移り変わりについて、維新昨今の流行ぶりを「東京日日」が報ず。 【1887年/明治20年03月20日/朝日】 当世女の骨格 天保弘化時代には、顔の長うて目の張りがようて、生下(うぶげ)の毛が長うて背の高い 女でなくては美と云わず、女房を迎えるにも芸娼妓を抱えるにも、多く右の標準により、 それより降って明治の初年にありては、顔は丸く眼は常体で少し眦(まなじり)の釣り上 がり、髪は黒くて、背の小がらでなくては当世でないとて、いわゆるポチャ顔の流行せし が、 この頃に至りては時好大いに一変し、今にも一般に束髪、洋服の世界にならんとする の勢いなれば、芸娼妓を抱える親方はもとより判人(はんにん)のごときも、束髪、洋服 の似合うべき背の高い眼の張りのよい鼻の高い女でさえあれば、髪は少々赤うても縮んで 居ても、いっこう頓着なく、その内ABC位の横文字を心得て居る女は、なおさら足の早 きよし
1997年東芝EMIから発売「甦るオッペケペー」より 三代目桂藤兵衛/作 川上音二郎/演出 『オッペケペー節』 1900年(明治33年)パリ万博での川上音二郎一座の公演をイギリスのグラモフォン社が録音したもの。川上音二郎の声ではありません。 イギリスのEMIに保管され埋もれていたものが、1995年に再発見されました。 日本人最古の録音と言われていましたが、2003年に同時期に録音されたものが新たに見つかったため、日本人最古の録音とは断定できなくなってしまいました。しかし日本人の歌声としては最古のものではないでしょうか。 訂正: 永嶺重敏(2018)『オッペケペー節と明治』文春新書 によると冒頭のセリフは 「欧米漫遊の川上一座一行のオッペケペーをお聞きに達しまする」だそうです。 字幕に誤字あり、 地獄で閻魔に(0:43) 親が窮すりゃ(1:07) が正しいです。 参考にさせていただ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く