タグ

平川克美に関するamenotorifuneのブックマーク (26)

  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄 » 時間の秘密。

    父親の家(実家)へ単身赴任するために、 二階の改造を始めている。 母が亡くなってから やはり、父親は気力が萎えてきている。 あれほど、頑固一徹で、 あれほど母と激しい夫婦喧嘩をしていた 面影がだいぶ薄くなって、 柔和な顔立ちになっている。 母が亡くなるまで 俺は家族というものについて これほど多く(深くではない)考えたことはなかった。 否が応でも、 赤の他人だった人間が何十年も同居して、 子どもを産んで、 ひとつの家族を形成する。 子どもの方は、それが自然であると感じ (そりゃそうだ。 赤の他人がくっつかなければ自分はこの世に 存在していないわけである) それが、未来永劫なんとなく 続いていくのではないかと感じている。 ところが、そのなんとなく堅牢だと思っていた 紐帯が、メンバーの中心人物の死によって 急によわよわしい こわれものに変じてしまう。 そして、そうであるがゆえに、 またそれがい

    amenotorifune
    amenotorifune 2010/01/24
    「ひとつひとつの家族とは、まさにメンバーの欠損によってしか確かめようのないまことにあえかな輪郭の点景でしかない。」
  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄 » 『日本辺境論』(内田樹)について

    「平場」で知人に語りかけるようなフレンドリーな文体で書かれているが、 その内容は必ずしもとっつき易いものではないかもしれない。 見た目は柔だが喰って見たら噛み切れない骨が詰まっている肴みたいなものである。 つまり、書には、日および日文化をその中心で捉えるという困難を引き受ける、豪胆さと緻密さが、平易な語りかけの背後に伏流しており、注意深く読めば読むほど、そのロジックがもたらす緊張感が高まる仕儀となる。 一読、これまでのところの、ウチダくんの作品の中では、白眉といってよい作品になっている。 同時に、これまでのところの、日文化論の最高の到達点と示しているといってもよいと思う。 これまでの、(なんどもリフレインして申し訳ないが)、日論あるいは、日人の特性を示す形容はどんなものだったのか。 たとえば雰囲気に一気に流される付和雷同の傾向であるとか、容易に国際ルールに従わない陋古な島国根性

  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄 » 作家の立ち位置。

    16日の読売新聞に村上春樹へのインタビュー記事が掲載された。 (俺はこのブログにときおりコメントをお寄せ下さるまろさんのブログ「漫望のなんでもかんでも」でそれを読んだのだが)大変示唆に富んだインタビューであった。 http://plaza.rakuten.co.jp/1492colon/diary/200906160001/ 一読、『1Q84』にはオーウェルの小説と、地下鉄サリン事件の影が色濃く反映されていることが村上自身の言葉で語られていることが知れて大変興味深い。 G・オーウェルの未来小説『1984』を土台に、近い過去を小説にしたいと以前から思っていた。もう一つ、オウム真理教事件がある。僕は地下鉄サリン事件の被害者60人以上から話を聞いて『アンダーグラウンド』にまとめ、続いてオウムの信者8人に聞いた話を『約束された場所で』に書いた。その後もできる限り東京地裁、東京高裁へ裁判の傍聴に通っ

  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄 » ありうるかもしれなかった未来とありえたかもしれない過去。

    七夕に行なわれる予定の 国際政治解説者の田中宇さんとのイベントへのお申し込みは →の「店長の課外活動」からお願いいたします。 秋葉原連続通り魔事件から一年。 あの交差点に花が添えられ、多くの報道陣が集まっていた。 あのときと同じように、定番的な追悼番組が組まれるのだろう。 献花に向かって手を合わせる人。 あの時、あの場所にいてあの事件に直接的にか、間接的に関わった人々の述懐。 そして、おそらく解説者が言う。 「あの事件を風化させてはならない」 「あの事件から得た教訓を生かさなければならない」 それでも、事件は風化してゆく。 一年もたてば、生々しい感触は薄らいでいき、 事件は忌々しい物語として語り継がれることになる。 あの事件の直前に、俺は村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を 読み返していた。 一周忌(というのだろうか)を前にして俺は同じ作者の『1Q84』を読んだ

  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄 » 神無き世界の神学―グラン・トリノ。

  • 村上春樹のスピーチ。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2009.02.18 村上春樹のスピーチ。 (53) カテゴリ:ヒラカワの日常 村上春樹のエルサレム賞受賞に関しては、賛否両論があった。たとえば大阪の「パレスチナの平和を考える会」は、かれに受賞を辞退するよう求めていた。 賞を辞退すべしの論拠は、この賞をスポンサーしているのがエルサレム市であり、エルサレム市長から賞が手渡されるその式典に村上春樹が出席することは、イスラエルによるガザ虐殺の犯罪性を隠蔽することに加担することになるというものであった。 勿論、村上春樹の小説や、洩れ聞こえてくるかれの言動から、かれがガザ虐殺(こう呼ぶべきものだとおもう)のような行為に対して同意を与えてはいないということは明らかである。だからこそ、市民運動の立場から見れば、その村上さんが、無辜の犠牲者の敵が贈る賞を嬉々として受け容れるべきではないということになる。 この賞が「社会における個人の自由」を標榜しており、

    村上春樹のスピーチ。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ
  • 宵越しの金は持たない。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2008.09.20 宵越しの金は持たない。 (22) カテゴリ:ヒラカワの日常 先だっての、カフェ大繁盛の余波がまだ続いている。 リーマンの破綻に関して、数量的な世界で何が起こっているかは、 国家的なそろばん勘定と、金融企業のそろばん勘定をはじいている人々が いずれその数値を公表することになるだろう。(もう発表しているか) しかし大雑把な損得以外のところで、 何が起きたのかという当のところは誰にも明確には分かっていないし、 これからもその実態はグレーのままだろう。 マネーサプライや金利の調整で制御できることは、 短期的、対蹠的な処置だけである。 (勿論、それはしないよりはしたほうがいいに決まっている) もし、質的な(というのは長期的なという意味だが)問題の 解決を考えるならば、(いや何が問題なのかを把握しようとするならば) 金融の世界で起こった問題を、金融のテクニックではなく、 日々

    宵越しの金は持たない。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ
  • リーマンの破産、擬制の終焉。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2008.09.16 リーマンの破産、擬制の終焉。 (12) カテゴリ:ヒラカワの日常 リーマン・ブラザースが、チャプターイレブンの適用を申請のニュース。 テレビも新聞も大騒ぎである。 だからなんだというのだ。(と、前にも言ったけど) 金で金を売り買いして肥えてきた会社が、 金で躓き、金に行き詰ったという話である。 勿論、世界は混乱するだろう。 一般消費者も、景気の後退の影響を受けるだろう。 だが、この混乱はモノやサービスを媒介しない 欲得と欲得の交換が巨大過ぎるビジネスになったときにすでに はじまっていたと思うべきなのだ。 この度の米国経済の破綻は、 信用の収縮と呼ぶべきものではなく、行き過ぎたお金への信仰が、 欲望が再生産を繰り返して作り上げた幻影に対するものでしかなかった ということが露呈したに過ぎない。 最初から信用というようなものは無かった。 信仰は、幻影には実体がないと分かった

    リーマンの破産、擬制の終焉。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ
  • ネットを止めよ、書に戻ろう。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2008.06.20 ネットを止めよ、書に戻ろう。 (6) カテゴリ:ヒラカワの日常 「ネットを止めよ、書に戻ろう」 と言いたい。 もちろん、寺山修司のモジリである。彼が「書を捨てよ、町に出よう」と書いたのは七十年代の初頭である。当時の日はまだ、高度経済成長の途上にあり、 近代主義的な教養主義がまだ息づいていた。 貧しさと知性が対になって生きられるような価値観。 同じ時期に、立身出世し、郊外に広がる団地サイズの2LDKにローンマンションを買うのがひとつのステータスになる時代がオーバーラップしてくる。 大阪で万国博覧会が開催され、マクドナルドの一号店が銀座に出現し、ボーリング場が家族ずれで賑わい、町は脱色され、人々の生活は労働よりは消費することへ中心を移した。 そして、おそらくはこの頃を境にして、町から共同体的な空間と時間が徐々に希薄になっていった。貧しさと知性が一対になった価値観は、豊か

    ネットを止めよ、書に戻ろう。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ
  • 人生はミスマッチ (内田樹の研究室)

    リクルートの出している「RT」という冊子の取材が来て、「高校の先生に言いたいこと」を訊かれる。 中高の現場の先生には基的に「がんばってね」というエールを送ることにしている。 現場の教師の士気を低下させることで、子どもたちの学力や道徳心が向上するということはありえないからである。 現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。 人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。 だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。 それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。 「気持ちよさ」は知識や技能を持っているので「まことに便利だ」という仕方で表現してもよいし、推論や想像で思考が暴走するのは「ぞくぞくする」という仕方で表現してもよ

  • 日曜日には死について考える。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2007.09.16 日曜日には死について考える。 (2) カテゴリ:ヒラカワの日常 実家に行って 退院してきた父親のためのベッドを組み立てる。 両親ともに、病院から戻ってきたが、 これからが大変である。 成長しているときは、考えもしなかったことが 老いの中には次々に生起する。 老いてみなければ 生きることの意味は半分しか判りはしないのである。 半分の叡智は、どこまでいっても半分でしかない。 いかに生きてゆくかというのは確かに大変なテーマだが、 テーマが無くても生きてはいける。 現に、俺がそうだ。 だらだらと日をついでいけば、死ぬまでは生きてはいける。 必要なら死んだような生を生きることだって可能である。 しかし、いかに死すべきかということを考えずに 死ぬわけにはいかない。 どのような生であれ、生は、今日も明日も明後日も続く連続性の中にあるが 死は、ひとつの断絶であり、 その先に存在する自

    日曜日には死について考える。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ
  • うちだくん、おめでとう。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2007.08.31 うちだくん、おめでとう。 (3) カテゴリ:ヒラカワの日常 先日は、小池昌代さんが 川端康成賞を受賞されて、ご近所が盛り上がったところだが、 その余熱が冷めぬうちに、 今度は、内田樹、小林秀雄賞受賞のニュースが舞い込んできた。 この受賞の前日に、 うちだくん、養老先生との鼎談をしたばかりなのであるが (審査員のお一人は、養老先生である) (新潮社の足立さんも同席していたのである) そんな話はどこからも聞こえてこなかった。 賞の選定は、深く静かに進行していたというわけである。 おめでとう! 名実ともに、というが、 実はあったが無冠だったからね。 これからもきっといろいろな賞を受賞することになるだろうが、 その一発目が小林秀雄の名前のついた賞であったことが 感慨深い。 俺が最初に買った全集は、筑摩の太宰治全集。 その次が新潮の小林秀雄全集であった。 もっとも、この全集は夭

    うちだくん、おめでとう。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ
  • http://radiodays.jp/ja/voice/v0002w.html

  • [ラジオデイズ]ラジオの街で逢いましょう第18回 内田樹×平川克美

  • 政治家の不在。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2007.08.08 政治家の不在。 (3) カテゴリ:ヒラカワの日常 ラジオデイズで、内田樹+平川克美の掛合い漫談をやってます。 http://www.radiodays.jp/ja/program/2007/08/18.html 夏の日差しが続いている。 先週末は、恒例の箱根温泉麻雀であった。 メンバーは、内田兄弟、石川君。 毎年、同じ場所に集まって同じことをして、同じ風呂に入る。 何の生産性も無いことを二泊三日飽きもせずに行う。 何か新規なこととか、進歩とか、改革とか およそ前向きなこととは全く無縁で ただ足腰の痛みに耐えながら洗牌、積牌、打牌を繰り返して 貴重な時間を浪費する。 蕩尽した時間が、灰皿に吸殻の山になっている。 これが、贅沢というものである。 贅沢とは高級住宅に住み、うまいものをい、着飾ることではない。 人生で最も貴重なものを無益に使い果たすこと。 「快住美などは人

    政治家の不在。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ
  • 明るさを消さずに、悲しみを表現するということ。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2007.07.31 明るさを消さずに、悲しみを表現するということ。 (7) カテゴリ:ヒラカワの日常 NHKの3チャンネルを見ていたら 作家の森村誠一が三波春夫について熱く語っていた。 ウィキペディアを見ると、三波の経歴としてこうある。 1944年に陸軍入隊し、満州に渡る。敗戦を満州で迎える。敗戦後ハバロフスクの捕虜収容所に送られ、その後約4年間のシベリア抑留生活を過ごす。 番組の中で 森村は、この体験の凄まじさについて印象的に語っていた。 満州で三波のいた軍隊は置き去りにされる。そして、シベリアでの抑留体験。 誰もが精神的な負債なしでは潜り抜けることができないような 状況にあって、三波はつねに明るい歌声を響かせていた。 「三波の明るさは、天性のもの。遺伝子そのものが明るい。おそらく、戦場やシベリアにおいて多くの人間の命を救ったのだと思う。」 だいたい、こんなことを語っていた。 三波がデ

    明るさを消さずに、悲しみを表現するということ。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ
  • キャリアアップ主義者の面影。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2007.07.11 キャリアアップ主義者の面影。 (9) カテゴリ:ヒラカワの日常 神戸北野ホテル宿泊。 さきほどまで、仕事がらみで 鷲田清一先生と夕飯。 大林組の長谷川常務、船橋くんらと歓談。密談。相談大阪大学の学長になることが決まって超多忙なのであるが、 それでも、哲学者鷲田さんは、悠揚として迫らぬ はんなりとした風情で 話は転々、淀川の川原に転び 心地よい時間を過ごすことができた。 大林組がタクシーチケットを出してくれたので、 そのまま北野ホテルへ向かった。 以前築地の場内すし屋をご案内した永末支配人から ご案内状をいただいており、一度はその「世界一」の 朝ってみたいと思っていたからである。 車中、ひとつの考えが浮かぶ。 いや、この間ずっと考えていたことである。 違法な行為があったとか、 態度が気に入らないとか言うこととは別に コムスンの社長、ヤンキー先生、ワタミの社長は

    キャリアアップ主義者の面影。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ
  • 「株式会社という病」を読む - 内田樹の研究室

    平川くんの『株式会社という病』(NTT出版)のゲラが届いたので、東京へ向かう新幹線の車中で読み始める。 平川くんはブログ日記で、このを書くのにずいぶん苦労したと書いていた。 彼が「苦労する」というのはどういうことだろう。 言いたいことをはやばやと書ききってしまったので、残りの紙数を埋めるのに苦労するということは学生のレポートのような場合にはよくあることである。 だが、平川くんのような書き手の場合に「書くネタが尽きる」ということはありえない。 ということは、彼がこので「手馴れた道具」では論じることの困難な種類の主題を扱っているということである。 平川くんをして困惑せしめる主題とは何であろう。 一読して、その困惑が少しだけわかったような気がしたので、そのことについて書きたい。 彼は久が原の町工場の長男として育った。 その少年時代の親たちの働きぶりや、彼のまわりにいた工員たちの姿を活写すると

  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄

    2020.06.22 『隣町珈琲』突然の移転に伴う寄付のお願い (1) カテゴリ:ヒラカワの日常 ​​​ ● 突然の退去依頼が 2014年3月より東急池上線荏原中延駅商店街の外れで営業してきた「隣町珈琲」は、地域のお年寄りや、主婦が気軽に憩える喫茶店としてスタートし、その後、講演会、勉強会、古典芸能のイベントやこども堂、書店営業などを展開してきました。現在は、地域文化の発信拠点として、荏原中延という町のシンボル的存在になっています。 2020年には、地域文芸誌「mal”」を創刊し、大田区の作家にして旋盤工の小関智弘を特集しました。 同誌には、内田樹、岡田憲治、小田嶋隆、川三郎、小池昌代、佐々木幹郎、関川夏央、鶴澤寛也、豊崎由美、中田考、名越康文、古屋美登里、三砂ちづる、宮内悠介、森あんり、安田登(以上敬称略)ら錚々たる面々が寄稿してくれました。 何よりも、「隣町珈琲」の講座に集ってく

    カフェ・ヒラカワ店主軽薄
  • 小川国夫目線。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2007.03.12 小川国夫目線。 (7) カテゴリ:ヒラカワの日常 日経済新聞の文化欄に 小川国夫が「煙草」と題する小文を寄せている。 『アポロンの島』に漲っていた孤独であることの瑞々しい緊張感は この文章からは消え去っている。 が、言葉の手触りに馬鹿正直に、どこまでも押してゆくと こんな文体になるといった書き方に好感をもったのである。 気持ちを揺すぶられたといった方がよいかもしれない。 写真が出ている。 小さい写真なので細部はよく判らない。 随分お年をめされたといった風情である。 お若いときには ギリシアをオートバイで走るにふさわしい 彫刻刀で掘り出したような頬の線が、 今は幾分やはらかくなって、縦に皺が走っている様子である。 こういう縦皺はなかなか日人にはできにくい。 かつて、図書館で W・H・オーデンの顔を見たときに その皺の美しさに見とれてしまったことがあった。 オーデンの

    小川国夫目線。 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ