「平場」で知人に語りかけるようなフレンドリーな文体で書かれているが、 その内容は必ずしもとっつき易いものではないかもしれない。 見た目は柔だが喰って見たら噛み切れない骨が詰まっている肴みたいなものである。 つまり、本書には、日本および日本文化をその中心で捉えるという困難を引き受ける、豪胆さと緻密さが、平易な語りかけの背後に伏流しており、注意深く読めば読むほど、そのロジックがもたらす緊張感が高まる仕儀となる。 一読、これまでのところの、ウチダくんの作品の中では、白眉といってよい作品になっている。 同時に、これまでのところの、日本文化論の最高の到達点と示しているといってもよいと思う。 これまでの、(なんどもリフレインして申し訳ないが)、日本論あるいは、日本人の特性を示す形容はどんなものだったのか。 たとえば雰囲気に一気に流される付和雷同の傾向であるとか、容易に国際ルールに従わない陋古な島国根性
エクスターズする文化へ デジタル社会における内包空間の発現 Toward a Culture of Ex-stase: The Appearance of Inner Space in Digital Culture 「移動する聖地―テレプレゼンスワールド」展 トークセッション「ネオシャーマニズム」 港千尋+ 中沢新一+ 細野晴臣+ 伊藤俊治 MINATO Chihiro,NAKAZAWA Shinichi, HOSONO Haruomi (http://www.daisyworld.co.jp) and ITOH Toshiharu なぜいま,ネオ・シャーマニズムなのか, それはリアルな問題だから 伊藤──「移動する聖地――テレプレゼンス・ワールド」展のトーク・セッション最終回は,「ネオ・シャーマニズム」というテーマで行ないたいと思います.シャーマニズムというのは,シャーマン(霊媒)を軸
山形浩生さんが少し前にノーベル賞について、「ノーベル賞受賞者数を政策目標に使うような発想は、ぼくはゆがんでいると思う」と書いている。 「それは自分では評価できませんという無能ぶりを告白しているに等しい。だからぼくは日本に必要なのは、ノーベル賞受賞者そのものより、研究や業績を王立科学アカデミー並みの見識と主張をもって評価できる人や組織の育成じゃないかと思うのだ。日本でも、何かノーベル賞に比肩するような世界的な賞を作ってみてはどうだろうか?(…) もちろん・・・おそらく無理だろう。日本ではそんな賞はすべて地位と経歴と学閥内の力関係で決まり、下馬評は事前にだだ漏れとなり、受賞目当てのロビイングが横行し、結果としてだれも見向きもしないつまらない賞になりはてるだろう。それが日本の問題なのだ。」(「論点」、毎日新聞、10月31日) 山形さんの言うとおりだと私も思う。 私たちの社会のたいへん深刻な問題の
ラフルアー・みやざわ・けいこ 宮澤喜一元首相の長女。慶大法学部卒業後、米コロンビア大大学院MBA取得。ルフトハンザ航空客室乗務員、同社広報担当、エスティローダーPRディレクター、森英恵プレタポルテ部門会社のパリ設立などに携わった後、トラベルジュエリーの輸入販売会社「CLUB SAH」を設立、現在は代表取締役。夫は米国の外交官で現在は駐マレーシア大使。
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