京都を代表する寺院、西本願寺と東本願寺。元はひとつだった「本願寺」は、なぜ東西に分かれてしまったのでしょうか。無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、東西本願寺の複雑な歴史をたどりながら、拝観がますます楽しくなる「両者の違い」を詳しく紹介しています。 「お西さん」と「お東さん」 今日は京都で「お西さん」「お東さん」と呼ばれている2つの大きなお寺を比べてみたいと思います。西本願寺(浄土真宗本願寺派)と東本願寺(真宗大谷派)の違いです。元々はどちらも親鸞聖人が開祖の浄土真宗の本山です。 元々東西に分かれる前、本願寺は第8世蓮如(れんにょ)上人の時代に一気に教線を拡充して栄えました。蓮如上人は山科に本地を構えました。しかし、第10世証如(しょうにょ)上人の時、細川氏・六角氏や日蓮宗の攻撃を受け、山科本願寺は焼け落ちます。その後は大坂に本願寺を再興しました(石山本願寺)。 第11世顕如(けんにょ)