言の葉に関するameyujutoteのブックマーク (3)

  • コッペパン - あめゆきをとって

    I君のことは、いつかどこかで書いたはずだ。けれども見つからないのでまた書く。 I君は、小学一年の時同じクラスだった。 昔の写真や文集の類を全部捨ててしまったので確かめようが無いが、入学式の写真の記憶が残っている。 I君と私は前列で、二人とも不安そうな表情をして写真に収まっていた。後方には保護者も並び、I君のお母さんは着物姿だったと思う。 二年か三年か、はたまた四年生かもしれない。申し訳ないけれども覚えていない。 I君のお母さんが亡くなった。 I君は二週間くらい学校を休んだ。 私達は自分の母親が突然いなくなる事を想像し、心の底からI君を気の毒に思った。 元々大人しかったI君は、学校に戻ってからも元気がなかった。 聡明な、または気の利く一部の女子が、I君にそっと励ましの声をかけるのを見たが、私は何もしなかった。 全校生徒が千人を超える、マンモス小学校だった。土地柄なのか、時代のせいか、男子と女

    コッペパン - あめゆきをとって
    ameyujutote
    ameyujutote 2021/12/05
    私にしてはよく書けた(80点)
  • 肉屋の娘だった、母のこと - あめゆきをとって

    私の実家は、地元では名の知れたコロッケ屋だった。 過去形なのはとうの昔に店を畳んだからで、店主だった母も、父も昨年相次いで亡くなった。 そのコロッケ屋は、元々は精肉店であった。 八幡神社近くの小さな店で、母が朝から晩まで切り盛りした。 父は、テーラー職人だったらしい。 らしいというのは、父が服を縫っているところを、一度たりとも見た事がないからだ。 二階の物置部屋で、黒のジャノメミシンとトルソーと洋裁道具が埃をかぶっていた。ベルト式の足踏みミシンはとても大切なものらしく、触ると父に酷く叱られた。 しかし、仕立ての仕事は全く来ない。父は昼間から酒を呑み、ぶらぶらと遊び歩いた。 手に職も学もない母は親きょうだいに頼り、実家の家業である肉を商って三人の子を養うしかなかった。 父はますます不貞腐れ、肉屋の仕事を一切手伝わなかった。それだけでなく、何かと実家に頼る母が憎くて仕方ないのだった。 最初の頃

    肉屋の娘だった、母のこと - あめゆきをとって
    ameyujutote
    ameyujutote 2021/09/20
    みやごべん難しい‥
  • 敗北者は虚空に向かって叫べ。強くキーを打て。そして公開ボタンを押せ。

    あるベテランのラジオのパーソナリティーが、新人パーソナリティーの番組にゲスト出演した。 そこで語られたのは、虚空に向かってひとりでしゃべる才能、ないしは病についてであった。 ひとりで二時間あまりしゃべることができるのは、一種の才能である。一種の病である。 ラジオ好きのおれはそれをおもしろく聞いた。 しかし、よくよく考えてみると、自分自身のことじゃないかと思った。 おれは虚空に向かってしゃべる才能がある。病がある。 しゃべるといっても、声を出して話すわけじゃない。 だれが読んでいるかもわからない、だれも読んでいないかもしれないブログに、自分の言葉をひたすらに書き続けてきた。そのことだ。 民放ラジオなんかに比べたら、無に近いほどはるかに規模が小さく、それこそ当の虚空を相手にして。 それでもおれは書き続けてきた。 おれには才能がない。金になるような才能がない。 それでも、おれは虚空に向かって書

    敗北者は虚空に向かって叫べ。強くキーを打て。そして公開ボタンを押せ。
    ameyujutote
    ameyujutote 2020/12/25
    お金は大切だけどお金よりも大切なものはある。私にはある。
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