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ブックマーク / blog.tatsuru.com (6)

  • コピペはダメだよ、について - 内田樹の研究室

    卒論を読んでコメントをつけて返すという仕事をしている。 疲れる。 ほとんど同じことをどの学生についても書いているからである。 「出典の書誌情報を明記しなさい」 この二年間、ことあるごとにゼミで言っているのだが、ほとんどの学生はそのほんとうの意味は理解していない。 それをたぶん「ズルをしてはいけません」という警告のように聴いているのだろうと思う。 「カンニングするな」とか「授業中私語をするな」とか「教室でカップ麺をべるな」というような注意と同列のものだと、たぶん思っている。 しているところを見つかったら叱られるけれど、見つからなければどうってことない、とたぶん思っている。 それでいったい誰が困るというのよ、とたぶん思っている(キムチ味のラーメン臭が教室に漂っていると、次の授業に教室を使うものは苦しむぞ)。 自己利益の追求を優先させることは悪いことではない、と教えられてきたからである。 自己

  • 階層化する社会について - 内田樹の研究室

    大学院ゼミで井原さんが『下流志向』の韓国における受容について貴重なレポートをしてくれた。 私のはこれと『寝ながら学べる構造主義』が韓国語で出版されており、『若者よマルクスを読もう』が現在翻訳中である。 この選書基準が興味深かったので、そのことについてゼミでお話した。 『下流志向』はネット上での書評を見る限り、あまりちゃんと理解されていないようであった(「上から目線」で勉強しない人間や労働しない人間を「叱咤」しているというふうに読んだ人が多かったようである)。 現地出版社のプレゼンテーションに多少のバイアスがかかっていたのかもしれない。 『下流志向』のポイントは (1)日社会の「階層化」が進行していること (2)階層下位に向けての「自分らしく生きる」イデオロギーの集中的なアナウンスによって階層化が果たされつつあること この二点である。 これはもちろん私の創見ではなく、苅谷剛彦さんの『階

  • メディアの病 - 内田樹の研究室

    怒るまいと思っても、つい。 今朝の毎日新聞の論説委員がコラムでが大学院教育の問題点について指摘していた。 90年代からの大学院重点化政策についての批判である。 「『世界的水準の教育研究の推進』をうたい文句に大学院定員が拡大されたが、大量に誕生した博士たちを受け入れるポストは用意されなかった。路頭に迷いアルバイトでいつなぐフリーター博士なる言葉まで生まれた。」 この現実認識はその通りである。 国策として導入された大学院重点化である。そのアウトカムについても国は責任をとるべきだろう。 責任というと言葉が強すぎるなら、せめて、「定員増には、受け皿になる職がないという『リスク』も帯同しております」ということを大学院進学志望者たちに事前にアナウンスしておくくらいの「良心」はあってもよかったのではないかと思う。 それはよい。 問題はその次の段落である。 意味不明なのである。 「何年か前、さる大学に新

  • 労働について - 内田樹の研究室

    月曜の「キャリア教育」の一こまと、専攻ゼミで「働くとはどういうことか」についてお話する。 月曜の方は大教室で180人の学生さんを相手にマイクで講義という、ふだんしないことをする。 お相手は2,3年生。 就活についてはまだ不安だけという学年だけれど、バイトの経験はあるし、キャリアパスのための資格や免状のための科目はすでに履修しているし、セカンドスクールにも通っているものもいるから、「働く」ことについて漠然とした先入観は有している。 けれども、彼女たちの抱いている労働観は家庭教育とこれまでの学校教育の過程でずいぶん歪められている。 彼女たちは「ワーク」を「競争」のスキームでとらえている。 閉じられた同学齢集団内部で相対的な優劣を競うことが「ワークする」ことだと思い込んでいる。 そう教えられて二十歳近くまでやってきた彼女たちには、社会に出てから後は「ワークする」ことの意味が違ってくるという消息が

  • 定型と批評性 (内田樹の研究室)

    マスメディアの凋落について毎日原稿を書いているせいで、ものの見方が偏ってきているのかも知れないが、今朝の毎日新聞の一面のコラム「余録」にも、思わず反応してしまった。 コラムは「決断」をめぐるもので、鳩山首相の決断力のなさと、最近の「発奮」ぶりをいささか嘲弄的に紹介している。 「普天間基地問題でも『体当たりで行動していく』『必ず成果を上げる』と歯切れがいい。先週の内閣メールマガジンでは『未来に向けて時計の針をもっと勢いよく回せるような政府をつくりあげていきたい』とアピールした。だが、沖縄県民、米国、連立与党のいずれをも満足させる道がこれから急に開けるようにも思えない。『針の穴にロープを通すくらい難しい』ともらしたことがある首相だ。何を選び何を捨てようとしているのか。『腹案はある』と自信ありげな腹の内を見てみたい。」(毎日新聞、4月5日) 「よくあるコラム」である。 こういう書き方を日のジャ

    amigogrj
    amigogrj 2010/04/06
    思ってもいないことを書くのはナンセンス。知識人ならば、定型句に嵌っていることに自覚的であるべきである、という、批評に対する批判。
  • 人間はどうして労働するのか - 内田樹の研究室

    『日の論点2010』(文藝春秋)が届いた。 そこに「労働について」一文を寄せている。 こんなことを書いた。 「働くとはどういうことか」 編集部から「働くとはどういうことか」というお題を頂いた。この問いがトピックとなりうるという事実から私たちはさしあたり次の二つのことを推論することができる。 (1)「働くことはどういうことか」の定義について、現在のところ一義的な定義が存在しない(あるいは定義についての国民的合意が存在しない)。 (2)そのことが「うまく働けない」若い人たちが存在することの一因だと思われている。 だが、「働くとはどういうことか」についての一義的な定義や国民的合意が存在しないことを私は特に困ったことだと思っていない。その理路を述べたいと思う。 人間だけが労働する。動物は当面の生存に必要な以上のものをその環境から取り出して作り置きをしたり、それを交換したりしない。ライオンはお腹が

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