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2006年12月12日のブックマーク (5件)

  • 年間ベスト企画、吾妻ひでお - 伊藤剛のトカトントニズム

    今年も「ダ・ヴィンチ」ほかの「年間ベストマンガ」的な企画にいくつか答えたんだけれど、答えたあとになってから、吾ひでお『便利屋みみちゃん』を入れてもよかったかなと思った。 ほかにもあれこれ迷ったものはあって、たとえば、よしながふみ『大奥』は入れたかったんだけれど、宝島社の「このマンガがすごい!」だと今年は「オトコ編」にしか答えていないので、入れることができないし、「ダ・ヴィンチ」だと自分を含めて六人の選者がいて、他の選者のひと、具体的には藤由香里さんが推すだろうからかぶりは避けようという判断が働いた。 もっとも、多少かぶりがあったほうがいいですよと担当さんには言われていたけれど、それも「多少」であって、もし『大奥』を入れていたら、ぼくだけがあげている作品というのがなくなってしまっていた。『鈴木先生』はOHPの芝田隆広さんと重なっていたし、『げんしけん』は夏目房之介さんと重なっていた。 ち

    年間ベスト企画、吾妻ひでお - 伊藤剛のトカトントニズム
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  • Phase-D - Web2.0時代における評論同人のあり方

    コミケカタログも発売されて、オタク界隈は年末モードになっています。今回の冬コミはハルヒ同人がものすごい勢いで増殖してるんじゃないかという感はありますが、個人的には例年通り評論系とか創作文芸とかそういった辺りを中心に回る予定。もうそろそろ退役してもいいんじゃないかと思うこともありますが、夏と冬がやってくるとつい有給休暇を使ってまで行ってしまいます。 数年前はサークル参加してたりもしたし、去年の冬コミの時もつい出来心を出して申込書を買うだけ買ってしまったんですが、どうにもサークル参加するだけのモチベーションが起きず、買い専になってしまっています。 最大の理由は明確に自覚していて、このはてなダイアリーがあるから。月に1〜2回しかエントリーしない状態になってしまっていますが、1つのエントリーがそこそこの分量になってしまうこともあり、年間トータルでの文章量で考えればA5で32ページくらいの同人誌なら

    Phase-D - Web2.0時代における評論同人のあり方
  • danさんの計算はちょっと単純すぎかも (;´Д`) - in between days

    著者の手取りを倍にして、残りのステークホルダーの受け取り分を据え置いても、1000円のは1100円になるだけだ。 404 Blog Not Found:死後+20年より印税率20%を えとね。なんないです。そんなに単純じゃないです。 そもそも「残りのステークホルダーの受け取り分を据え置」くことができないです。流通の取り分は価格に比例(印税と同じように体価格×固有の率で計算)するので、の価格を上げるとその分だけ流通の取り分は増えるんですが、これがけっこうバカにならないのです。 あとどのくらいの読者規模の(何冊刷れるか?)でぜんぜん変わってきますし(たくさん売れるなら採算部数も高く設定できるから1冊あたりの価格転嫁をそんなにしないでも済むけど、数千冊規模の専門書なら著者への支払いが倍になるのは原価のなかでかなり比重が大きい)。 技術革新で出版コストも流通コストも下がっているはずのに、著

    danさんの計算はちょっと単純すぎかも (;´Д`) - in between days
  • Something Orange - 「キャラ」を見ずに「作品」を語るひとたち。

    昨日、『零崎軋識の人間ノック』を読んでつくづく考えた。いやあ、キャラクター小説って、当におもしろいですね。 零崎軋識の人間ノック (講談社ノベルス) 作者: 西尾維新,take出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/11/08メディア: 新書購入: 7人 クリック: 66回この商品を含むブログ (236件) を見る ぼくだけではないと思うが、いったんあるキャラを好きになってしまえば、そのキャラがほかのキャラと絡む、それだけである種の快楽性が生まれる。『人間ノック』でいえば、玖渚友がちらっと出てきてわがまま言っているだけで何となく楽しい。 『涼宮ハルヒの憂』でいうなら、ハルヒとキョンがいつものように絡んでいるだけで一応おもしろいし、評判のよくない〈ネギま!〉の新作アニメも、お馴染みのキャラが出ているだけでそれなりに楽しく見れたりする。 涼宮ハルヒの憂 1 通常版 [DVD] 出版

    amoeba
    amoeba 2006/12/12
    >作品を構成するあらゆる要素のなかで、なぜ「キャラ」だけが特権的に扱われるのか、扱われてきたのか