東京都中央区日本橋。江戸時代から続く商業の街を歩いていてふと気がついた。日本橋のローマ字表記が場所によって違う。ある場所では「Nihonbashi」、別の場所では「Nihombashi」。にほんばしの「ん」の表記が「n」の場合と「m」の場合があるのだ。一体どうしてなのか? 何か法則があるのだろうか? 謎を探っていくと、日本語が長年抱える問題が潜んでいた。道路・銀行は「n」、駅は「m」?日本橋
![日本橋、謎を呼ぶ「MN」問題 「Niho"m"」か「Niho"n"」か 東京ふしぎ探検隊(14) - 日本経済新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6efdb1d8db62ec805b3d1d07429f88a0c7f39dfd/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Farticle-image-ix.nikkei.com%2Fhttps%253A%252F%252Fimgix-proxy.n8s.jp%252FDSXBZO3656954017112011000001-31.jpg%3Fixlib%3Djs-3.8.0%26auto%3Dformat%252Ccompress%26fit%3Dcrop%26bg%3DFFFFFF%26w%3D1200%26h%3D630%26s%3D835f0a9a7005efda48bf2195a2b26b70)
我が家の息子たちが、「日本語を母国語として勉強する学校」から「外国語として習う学校」に移ってから2ヶ月。いろいろ目から鱗なことがあって、面白い。 そこでつらつら考えるに、ニッポンの「国語なんたら審議会」には刺客を送り込まれ、全国の国語の先生たちからはカミソリを送られてきそうなことなのだが、「国家百年の計」を考えると、ここでおもいっきり、日本語の言語体系を大幅リストラして簡素化することが、国家戦略として正しいんじゃないかと思えてきた。 なぜかというと、このままで行けば、ありとあらゆる面で日本は中国に負けることはまちがいない。あちらのほうが人口多いし、それは仕方ないんだけど、そのあと「成熟国」としてこの先どうまともに生きて、1億もいるぜいたくに慣れた人口(この先減るにしても)を養っていくかと考えると、やっぱり「ブランド維持」が必要。そのためにすべきことはいろいろあるんだけど、「対中国語」という
もっと評価されるべき日本語の実力シリーズの第2回。今回は現代中国語が日本起源の和製漢語なしには成り立たないというお話。やや硬い内容なので興味のある方はどうぞ。 漢字の特徴の一つとして高い造語能力があげられる。ところが歴史を見てみると漢字の造語能力を存分に活用した事例は意外に少ない。伝統的中国語(漢文)においては漢字一文字で一つの概念や事柄を表すのが普通で、二文字以上の熟語は実はそれほど多くない。そのため中国では思想活動の活発だった春秋戦国時代(紀元前770-前221年)と仏教用語を翻訳するときに二文字以上の新語を多く造りだした程度である。漢字の高い造語能力は近代に至るまでかなり低レベルでしか活用されてこなかった。 ベトナムや韓国はもっぱら中国式の漢文を忠実に受け入れてその枠の外に出ることはほとんどなかった。韓国独自の造語もあることはあるのだがその数は少ない。 日本はまったくの例外である。漢
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