ブックマーク / blog.tinect.jp (10)

  • 人生の極意は「読解力」と「好きなことしかやらない」の2つだ。

    高校生ぐらいだかの時、人生に深く失望した事がある。事の経緯を簡単に書くとこんな感じだ。 1,  自分は普通レベルの進学校にいる人間だけど、頑張って勉強しても、どうも真ん中ぐらいの順位しかとれないらしい。 2,  世の中にはここよりも、沢山の頭のよい学校がある。となると世の中には自分よりも圧倒的に頭の良い人がたくさんいる事になる。同世代前後なら、少なく見積もっても一万人以上はいるだろう。自分よりも頭のよい人が一万人も世の中にいるのだとしたら、自分の順位はよくて一万位以下である。 3,  そうなると・・・自分はこのまま一生平凡なまま一万位以下にずっといて、浮かび上がることなく人生が終わってしまうのではないか・・・ とまあ、こんな事を15歳ぐらいの時に思ったのである。 ただその後、自分は人生で二回ほど、文字通りハッと覚醒するような体験をした。 そしてどうもこの覚醒するような体験をしたか否かが、世

    人生の極意は「読解力」と「好きなことしかやらない」の2つだ。
    animemiru
    animemiru 2018/06/07
  • いくら正しくても、失礼だと敵視され、殺されてしまう。

    どの会社にも、どんなコミュニティにも一定数、「失礼な人たち」がいる。 「失礼」は抽象的な表現であり、相対的なものなので、当然、ある人が失礼と感じることが、他の人にはそうではないことがたくさんある。 だが、「失礼」は確かに存在している。 「論語」によれば、失礼というのは、慎みと敬意がない、ということである。 例えば、インターネットではよく見かけるが、相手に「バカ」「無能」と言ってしまうのは、失礼にあたる。 同じように、誰かが間違ったことをした時に、皆の目の前で「間違っている」と批判することも、失礼な行為だ。 ◆ 以前、こんなことがあった。 その企業は小さなシステム開発会社で、ワンマン経営をしている社長がいた。 そして、その社長は思い込みの強いタイプで、会議でよく間違ったことを言った。 例えばこんな具合だ。 「ソフトの品質が悪いのは、仕事への思い入れが足りないからだ!」 現実的には、ソフトの品

    いくら正しくても、失礼だと敵視され、殺されてしまう。
    animemiru
    animemiru 2018/03/22
  • 「才能も、カネもないやつが、楽しく生きる方法を教えてやる」

    彼は、フリーランスをやっていた。webページ作成等の案件を、知り合いからもらい、悠々と暮らしている。独り身で、いつも同じ服を着ており、いつ働いているかもよくわからない。 「就職しようと思わなかったの?」と聞くと、「オレはお世辞が苦手だから、就職しても会社に馴染めない」と、言う。 彼に、「もっと仕事お願いできない?」と聞くと、「やる気が無いからムリ」と言う。 そんな彼だが、面白いことに彼はいつも幸せそうだった。 「まあ、適当に楽しく生きているよ」というのが彼の口癖であり、いつも飄々としている。 その日は彼にしては珍しく饒舌だった。 「いやー、毎日楽しいよ。」と彼は言う。 「何が?」と切り返すと彼は、 「全部」と言う。 私が怪訝な顔をすると、彼は、ニヤリと笑い、「なんの才能もカネもないやつが、楽しく生きる方法を教えてやる」と言った。 「一つ目。早起きする。」と、彼は言った。 「早起き?」 「朝

    「才能も、カネもないやつが、楽しく生きる方法を教えてやる」
    animemiru
    animemiru 2018/03/16
  • 「もっと早くからやっておけばよかった」と後悔している、いくつかのこと。

    昔のコマーシャルだっただろうか。 うろ覚えなのだが、 「「やらなかったこと」を後悔するよりも、「やって」後悔するほうがマシだ。」 というセリフを聞いたことがある。 言わんとしているのは 「だから挑戦することが大事だ」 だろう。 だが、挑戦すれば、当に後悔せずに済むのだろうか。 プロスペクト理論でノーベル経済学賞を受賞した、プリンストン大学名誉教授のダニエル・カーネマンは、それとは異なる見方をしている。 行動して生み出された結果に対しては、行動せずに同じ結果になった場合よりも、強い感情反応が生まれるということである。この感情反応の中には後悔も含まれる。(中略) じつはここで重要なのは、行動するかしないかのちがいではない。デフォルト(既定)の選択肢と、デフォルトから乖離した行動とのちがいである。 デフォルトから離れると、デフォルトが容易にイメージされる。そこでデフォルトから離れた行動をとって

    「もっと早くからやっておけばよかった」と後悔している、いくつかのこと。
    animemiru
    animemiru 2018/02/06
  • すべての苦手を克服するには、人の命は短すぎる。

    世界有数の大富豪でありながら、資産の大部分を寄付することを表明し、富裕層への課税増を主張するなど、「オマハの賢人」として尊敬を集めている投資家・ウォーレン・バフェットさん。 その言葉を集めた、『ウォーレン・バフェット 成功の名語録』(桑原晃弥著/PHPビジネス新書)を読んでいたのですが、その中で、印象に残った2つを御紹介します。 ・成功は、飛び越えられるであろう30センチのハードルを探すことに精を傾けたからであり、2メートルのハードルをクリアできる能力があったということではないのです。 ・自分の能力の輪の中にめぼしいものがないからといって、むやみに輪を広げることはしません。じっと待ちます。 僕がまだ医者になりたてだった頃、朝の採血当番というのは、とても憂仕事でした。 未熟な研修医たちに何度も針を刺される患者さんたちほどではないでしょうけど、「まだ採血できないの?」というプレッシャーに

    すべての苦手を克服するには、人の命は短すぎる。
    animemiru
    animemiru 2018/02/01
  • 幸福になるために必要な、2つのこと。

    仕事で自己実現できそうにない凡人は、いったい何を仕事に求めるべきなのか –Books&Apps 残念ながら僕もあなたも凡人だ。もっと詳細にいうと、残り大勢の69.999…億人に位置する平凡な存在だ。 平凡な存在である私達は、残念ながら偉大な事なんて成し遂げられない。とはいえ成すべき使命がないという事は決して悪いことではない。 私達凡人は、偉人と違って運命に全く縛り付けられておらず、それゆえに自由である。 その自由を使って最大の幸福を手にいれるのが、私達凡人に残された人生の課題だろう。 リンク先には、偉人になりきれない平凡な人生のなかで幸福を掴むためのヒントが書かれている。ちょっと長い文章だが、自分自身の幸福について考えたい人なら一読してみると良いように思う。 それにしても、自由を使って最大の幸福を手に入れるっていうのも、それはそれで簡単ではない。 ちょうど正月明けの頃、私は家内からこんな言

    幸福になるために必要な、2つのこと。
  • 仕事で自己実現できそうにない凡人は、いったい何を仕事に求めるべきなのか

    最近いわゆるヘッドハンティングのようなものを受けてきた。 こう書くと僕が有能であるかのように聞こえるかもしれないけど、そんなことは全く無い。 単純にいろんな所で医師不足が極めてマズイ状況に突入しているから、僕のような若手にこの手の話が舞い降りてきただけである。 実際、日の社会の労働力不足は当にヤバイ状態にある。 ちょっと前からブラック企業問題が随分と話題になっているけど、あれは簡単にいえば人手が不足している事の前兆みたいなものだ。 今後、若い働き手はますます希少性を高めていくのは間違いなく、それにともなって有能な新入社員の争奪戦は相当に白熱していくだろう。 これはもう間違いない。今の若い人達は将来に悲観すること無く、自分を高く売りつける事ができる未来に喜びを感じて欲しい。 と、ここまで書いておいて何だけど、今回の話の主題はそこにはない。 この度、かなり条件の良い転職話を頂いたにもかかわ

    仕事で自己実現できそうにない凡人は、いったい何を仕事に求めるべきなのか
    animemiru
    animemiru 2018/01/10
  • 「仕事はほどほど」という人向けのキャリアを考察する。

    キャリア論、というとどうしても「頑張りたい人向けの話」が多い。 まあ、頑張らなければキャリアアップは望めないので、当然とも言える。 だが世の中には「別に仕事で無理して頑張らなくてもいいじゃん。」という方も、数多くいるのは事実だ。 この場合「頑張らない」というのは、もちろん「働かない」ではない。 働かなくては普通の暮らしもままならない。 そうではなく、普通のくらしを目指す、キャリアをアップさせるというよりも、キャリアを安定させたい、という考え方だ。 古い経営者の中には「ほどほどを目指す」という考え方を受け入れられず、「ケシカラン、仕事を一生懸命やってこそ」という頑固な方もいるが、個人的には「継続可能性」という点では、なかなか悪くない考え方だと思う。 では「普通の暮らし」をゴールとし、「会社へ依存しない安定」を狙った戦略の具体論に入る。 骨子は以下の3つだ。 1.最小の労力で、大きな成果を狙う

    「仕事はほどほど」という人向けのキャリアを考察する。
    animemiru
    animemiru 2017/10/25
  • 「内容のないコミュニケーション」は重要だが、時に凶悪な武器になる。

    先日、自分のブログに「内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない」という記事を書いたら、やたら反響がありました。 人間同士のコミュニケーションのなかで、「コミュニケーションの内容」が当に問われる場面はそんなに多くない。 もちろん、業務上の指示やディベートの際には、内容こそが重要になる。しかし、日常会話の大半は、コミュニケーションの内容よりも、コミュニケーションをしていることのほうが重要だ。 その典型が、「おはようございます」「お疲れ様でした」「おやすみなさい」といった挨拶のたぐいだ。 リンク先を要約すると、 「世間話や挨拶といった、内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしちゃいけない。そういうのは、コミュニケーションの内容よりも、コミュニケーションしていること自体が重要」 という話なのですが、この話は、まだ半分しか終わっていません。 ここからは、内容の無いコミュニ

    「内容のないコミュニケーション」は重要だが、時に凶悪な武器になる。
  • コミュニケーション能力は変えやすい能力だから、「自分はコミュ障」なんて言わないで。

    星野源さんのエッセイ集『いのちの車窓から』のなかで、星野さんが、自身の「人見知り」について、こんなふうに書いておられました。 人見知りをしなくなったのはいつからだろう。ある日、自分が人見知りでないことに、ふと気づいた。それまで、道端で知人を見かけても声はかけなかったし、集団でいるときも、なるべく一人でいた。 ある日、ラジオ番組のゲストに出たとき「人見知りなんです」と自分のことを説明していことに、ふと恥ずかしさを覚えた。それがさも病気かのように、どうしようもないことのように語っている自分に少し苛立ちを感じた。 それまで、相手に好かれたい、嫌われたくないという想いが強すぎて、コミュニケーションを取ることを放棄していた。コミュニケーションに失敗し、そこで人間関係を学び、成長する努力を怠っていた。 それを相手に「人見知りで」とさも被害者のように言うのは、「自分はコミュニケーションを取る努力をしない

    コミュニケーション能力は変えやすい能力だから、「自分はコミュ障」なんて言わないで。
    animemiru
    animemiru 2017/04/17
  • 1