庭 瀬 城 址 と 庭 瀬 往 来 岡山北区庭瀬 応援のポチ! 宜しくお願いします にほんブログ村 昨日の高松城に引き続き 羽柴秀吉と毛利 攻防の地となった庭瀬城(撫川城)の紹介です 秀吉の中国攻めの際には、 備中七城の一つとして毛利勢の国境防御線を構成。 備中七城のうち庭瀬城だけは秀吉の攻撃に耐え、 1582年・毛利氏と羽柴氏が和睦するまで落城しなかったという。 7つの城とは 宮路山城 ・ 冠城(かんむり) ・ 備中高松城 ・ 加茂城 ・ 日幡城(ひばた) ・ 松島城 ・ そして最南端の守城がここ庭瀬城(撫川城)となります。 城主は毛利氏の家臣・井上有景 家臣 800人で秀吉の中国攻めに対抗した。 庭瀬城の周りは沼地で高松城と似ており、 容易に攻められる城ではなく、落城を免れたようです。 庭 瀬 城 跡 現在の庭瀬城跡 清山神社になっています 大賀ハス 大賀ハス(二千年ハス)は 庭瀬出