大根役者日常と街道の旅を続けています。ガスリーのHobo's LullabyとアズナブールのLe cabotin(大根役者)を友に 関ヶ原で20の首級を上げ、家康に賞賛された可児吉長(通称才蔵)は馬に多くの首級を下げるのが面倒臭いので、打倒した敵の口に笹を差し、じしょんの戦果を誇示したため、別名笹の才蔵と呼ばれた。宝蔵院流槍術の開祖、胤栄に槍を学んだ槍の名手であり、槍の才蔵とも呼ばれた。 天文23年(1554)美濃可児郡に生まれた才蔵は、はじめ、斎藤龍興に仕えたが永禄10年(1567)に織田信長により斉藤氏が滅亡したため信長の家臣であった柴田勝家、明智光秀、前田利家、森可成らに仕えた。その後、信長の三男である信孝に仕えたが、天正11年(1583)に信孝が羽柴秀吉の攻撃を受けて自害した後、秀吉の甥・秀次に仕えた。小牧・長久手の戦いで秀次が徳川家康に大敗を喫した後、秀次と対立して浪人になった。
![『西国街道を歩く(その3)~才蔵寺』](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/75e9d8e6e0020b5941e0b1ed6f648a87f00dd7a6/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fstat.ameba.jp%2Fuser_images%2F20140610%2F21%2Fmako1110%2F6a%2Fdb%2Fj%2Fo0640048012969154513.jpg)