昨日、城見公民館で郷土史本の打合会議があり、 本の添付物として散策マップに必要な写真を撮りに茂平に来た。 ヒルタ工業の工場付近、「小迫新開跡地」。 小迫新開では戦後の一時、塩田だった。 高丸城跡。 白砂青松であった「苫無」海岸付近。 阿浜は通称「さらやま」と呼ばれていた。皿を作っていた。 「吉備焼」。 明治末に焼き物を始めた。 窯元の水川さんが明治・大正・昭和の跡を案内してくれた。 これは土をふるいにかける場所。 吉備焼が茂平で始めた理由の一つに粘土があったこと。 その粘土を写真左の円形の井戸で最初にふるいにかけ、右の井戸で二度目のふるい、それを右の苗代に似た場所で練って焼き物の土にするそうだ。 「登り窯」(のぼりがま) 明治40年頃から昭和40年まで使っていた。 「重油窯」と「石炭窯」。 昭和40年頃の吉備焼の海岸風景。 波返しは、役にたつ期間は短かった。 かつては窯の前まで砂浜がつづき