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  • 「再構成された過去(未来)」としてのギャルゲー - 想像力はベッドルームと路上から

    オタクをめぐって〜首塚の上の無頭人 はてブ経由で見つけたエントリ。何かずいぶんと的外れな分析のような気がしますが、その辺り「文学」として何かを消費しようとする層と、「データベース」として消費しようとする層、それぞれの対比としては面白いと思うので取り上げてみます。 そもそも彼はギャルゲーやエロゲーを「文学」と対比させ、それらにおける主人公の特異さを際立たせようとしているのですが、双方の視点が異なるのは当然のことです。そもそもの受容の形態が違います。 何故エロゲーやギャルゲーの主人公から「他者性」を排するのか、なんてことは、「オタク」がどのようにそれらを受容しているのかを考えれば一瞬で理解ができます。 「オタク」はそれらを自身の記憶や経験のシミュラークルとして受容しているからです。つまり、有り体に言えば「こうあったかもしれない/こうあるべきだった」過去(あるいは未来)として受容しているのです。

    「再構成された過去(未来)」としてのギャルゲー - 想像力はベッドルームと路上から
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