仮病とは 我々の健全なる精神を持った者であれば殆ど、「今日は仕事に行くのが面倒だな」とか「あー、起きたらこんな時間だ、間に合わないな」とか「ちょっと心配してもらおうかな」という時、会社なり当人の存在と責任を管轄する組織に電話を掛け、「なんか頭痛いんで休みます」と電話口で告げ、そのまま東京ディズニーランドに遊びに行ったりすることが一度はある。もちろん、彼は実際に頭痛など患っていないから東京ディズニーシーへ遊びに行ったのであり、本当に頭が痛かったらそうはしていない。部屋でおとなしく寝ているのである。 これが一般に言われる「仮病」である。病気であると虚偽の申告をして、自らの義務と責任から逃れるのである。自らの義務と責任から逃れるための他の方法としては、「拒否」、「失踪」、「自殺」などがあるものの、義務と責任をひたすらに拒否し続けるにはかなり強靭な精神力を要するし、失踪したはいいが生きて戻ってしま
▼序文 子供の頃、読書をしろとよく言われた。両親はいろいろと本を買い与えてくれたのだが、僕はそんなものには一向に興味を示さず、スーパーファミコンばかりしていたのだった。スーパーファミコンやそれ以前のパソコンのゲームであるMSXというものも同じくして親が買ったものだったので、彼らは僕がテレビゲームばかりに興味を示したからといって、特に何も言わなかった。 大人になり、テレビゲームをする代わりに少しばかりだが本を読むようになった。決して本が好きではないのだが、読書というのは有用なものなのだということを知っていった。そうした中で、僕は驚天動地の考え方を知ることになった。 「読書しすぎることは悪である」 すなわち、読書をしすぎることによって、知識だけが頭の中に蓄積されて、自分で考えることを疎かにしてしまうということだ。つまり、本を読まないことは悪なのだが、本を読みすぎることも悪なのである。 以下に挙
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