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反日に関するanteater0407のブックマーク (4)

  • 在米中国系反日団体 日本の「残虐行為」への謝罪と賠償をなお要求 (1/3ページ) - MSN産経ニュース

    【ワシントン=古森義久】米国議会で2007年に日を糾弾する慰安婦決議が採択された際、中心的役割を果たした在米中国系反日団体が新たに非中国系米人を会長に選び、第二次大戦での日の残虐行為への謝罪と賠償をこれまでの講和条約での和解などを無視する形で、なお求めると宣言していることが明らかとなった。 カリフォルニア州クパティーノに部をおく在米中国系住民主体の「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会と略)がこの5月、新会長に同州サンフランシスコ北のマリン郡在住の元技師ピーター・スタネク氏を選んだことが地元の新聞マリン・インディペンデント・ジャーナル紙によりこのほど報道された。

  • 【石平のChina Watch】天安門事件20年に想う (1/3ページ) - MSN産経ニュース

    今日は6月4日、私にとって終生忘れ難い日である。 今から20年前のこの日、北京の天安門広場を拠地にして民主化運動を展開した学生や市民に対し、中国共産党軍は戦車部隊まで出動して血の鎮圧を行った。中国現代史のもっとも暗黒な一幕である。 私自身、まさにこの日に一度、「心の死」を体験し、中華人民共和国との精神的決別を告げた。 それから20年の歳月が流れたが、かの国では何が起きたのだろうか。 1992年2月、血の鎮圧の決定者であったトウ小平は有名な南巡講話を行い、「経済の発展がすべてだ」と語って市場経済への全面的移行を呼びかけた。 それ以来、中国は「経済発展一辺倒」の時代に突入して「成長と繁栄」のわが世の春を迎えた。今から考えてみれば、この時代の出発点となった南巡講話の根っこは、やはり天安門事件にあったのではないか。 つまりトウ小平は、人民とエリートたちを市場経済の中での富の追求に狂奔(きょうほん

  • 「日本車お断り」 中国・重慶に「抗日スタンド」登場 - MSN産経ニュース

    【上海=河崎真澄】「当スタンドは日車には給油しません」-。こんな看板を掲げた奇妙なガソリンスタンドが中国重慶市に現れ、地元カーマニアのサイト「汽車(自動車の意)中国車友会」で話題になっている。この看板には「惨殺された2000万人の同胞のため」と“理由”も添えられている。 いわば「抗日」を売りにしたものだが、このサイトによると、経営者の劉登雲氏は、「中国人の国民意識は低すぎる。経済発展したとしても歴史を忘れてはならず、感覚麻痺(まひ)した人を覚醒(かくせい)させなければならない」と話したという。劉氏は看板を取り外すよう圧力がかかった場合は、訴訟に持ち込む考えも表明している。 このスタンド登場を写真入りで伝えたサイトには、「よくやった!」「実際の行動を基礎とせよ(日車お断りを実行せよ)」といった書き込みが相次ぎ、支持が広がっている。

  • 2012年胡錦濤引退で「反日」上海閥が復権する - 雑誌記事:@niftyニュース

    2012年胡錦濤引退で「反日」上海閥が復権する 2012年胡錦濤引退で「反日」上海閥が復権する (SAPIO 2008年8月20日・9月3日号掲載) 2008年9月22日(月)配信 6ページ中 1ページ目 前のページ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 次のページ 文=茅沢勤(ジャーナリスト) 中国政界では、「反日」も「日中友好」も政争の具にされてきた歴史がある。胡錦濤政権は、発足当初は江沢民・前政権からの転換を目指して「親日政策」に舵を切った。それが頓挫し、“先祖がえり”の反日政策に転じているのはなぜなのか。中南海の深層に詳しいジャーナリスト・茅沢勤氏がレポートする。 今年3月14日午前、北京の日大使館の大使執務室は重苦しい空気に包まれていた。 翌15日午後、北京の中国人民大学で行なわれる「中日青少年友好交流年」の開幕式に出席予定だった温家宝・首

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