アフガニスタンで最も有名なムジャヒディンを祖父に持ち、現在はカブール大学で平和学を教える筆者は、「二つのアフガニスタン」を生きてきた。厳格なイスラムを守るためにジハード主義を称えるアフガニスタンと、欧米的な価値観を受け入れるアフガニスタンだ。タリバンが復権した今、どちらの言葉も理解する筆者は、二つのアフガンの懸け橋になるために国にとどまる決意をした。 欧米を憎み、ジハード戦士を夢見た アフガニスタンの首都カブールがタリバンの手に落ちた8月15日、私の父は生放送番組で、タリバンの輝かしい勝利を祝福した。そんな父を見ている間にも、私のスマートフォンには、タリバン兵が殺しにくるのではないかとパニックに陥った友人からのメッセージが次々と届いていた。 私は、欧米諸国とそれが象徴するものすべてを憎むように育てられた。祖父のグルブディン・ヘクマティアルは、アフガニスタンで最も有名なムジャヒディン(イスラ
![アフガン軍閥指導者の孫に生まれ、9.11に歓喜した私が、今この国のためにできること | 「二つのアフガニスタン」の懸け橋に](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6cc52c9dca1eec45b6bee5a5abbdb4f7d330c9c7/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcourrier.jp%2Fmedia%2F2021%2F09%2F11013939%2FGettyImages-1234760284-2-e1631259667881-1600x900.jpg)