(約4000文字) 最近本屋さんで平積みされていた勉強法の本の帯の文を見て思った。 『またか…』 東大教授の父が教えてくれた頭がよくなる勉強法 (PHP文庫) 作者:永野 裕之 出版社/メーカー: PHP研究所 発売日: 2019/02/02 メディア: 文庫 『落ちこぼれが東大』って、すでにこの人、父親が東大教授ですから!高3でE判定からの東大は珍しくないから。後から挽回可能な暗記系を春夏であえて放置してE判定をとるのは多くの現役生の戦略のうちだし。 『学年ビリのギャルが1年で~』とかいう映画化した本も、もともと偏差値の高い私立中高一貫校に通っとる子が中だるみして、高2の夏以降塾行かせてもらって英語と小論文の試験で慶応に入ったとか、普通やん? 本当の『落ちこぼれ』っていうのはね、私みたいに高校生になっても分数の足し算引き算ができなかったような人間を言うんだyo! まったく…この人たちが本
(約3800文字) 最近仕事をしていて電子カルテの閉じるマークを見ると、しいたけアイコンのわっとさん(id:watto)のおかげでしいたけにしか見えなくなり、「帰ったら夜は鍋にするか…」と鍋回数が増えている。密かに鍋具材の売り上げに協力していらっしゃるわっとさんが「聖マリアンナ問題に絡めて何か言いたい!何か言いたい!」とのことなので、少し絡めとこうかと思う。 その前に、わっとさんついでに偶然ジュンク堂でわっとさんが興味を持ちそうな本を見つけたので紹介しておきたい。 左の「片手袋研究入門」と言う本の方だよ、もちろん。わっとさんがこのような記事を書いておられたので。 www.watto.nagoya ちなみに右の偶然写りこんだ本は、ジュンク堂がそういう風に並べたのであって故意ではないことをお断りしておく。 さて、A病院の同僚の女医A先生とは、A先生がちょい鬱になった頃から、出勤が被る日にはどん
物事の多面性と断片化した様々な自己の持つ記憶によって作り出された、壮大で終わりのない矛盾の海に揉まれ、流され、沈み、浮く。その現実感のない混沌に、ともすれば僕は今果てしない時間がかかる恒星間航行中の宇宙船の中のカプセルでコールドスリープ状態なのではないかという馬鹿げているけどどこか真剣な推測が頭を過ぎる。 全てが僕の主観という曖昧で偏っていて錯覚で流動的で感情的で根拠のない色褪せる誇張される改変される、そのプロセスが繰り返される上に成り立つものなのだから幻覚だとしよう。 でもそこに感じるということは事実で、それだけは事実として認識していて、事実でなければ全てがなくなってしまうから事実であって欲しくて。 例えば過去の交流の中で、その相手が僕の幻覚の賜物であったとしても、その人の持つ独自の世界と僕の世界が交錯するような、干渉するような、互いの内側が主張しあうような、互いが互いの重力で引き合う星
十数年前のブログ記事をいろいろ読んでいると、当時はけっこうブログが盛んだったんだなと感じる。いまでもたくさんのブログはあるけど、そういうんじゃなくて、もっと純粋な日記ブログというか雑記ブログというか、そういうの。その頃自分はやっとそういうところを覗いて見るようになった時期で、ただぼんやりと眺めていただけだった。 例えば15年前だとまだはてなとかモヒカンとかそういう世界は知らなかった。その界隈を覗くようになったのは2006年とか2007年とか、そのあたりだったと思う。ただ遠巻きにして眺めていただけ。その当時は自分がインターネットで何かを書くなんて思ってもいなかったから、そこでブログ論のようなことが書かれていても他人事のようにしか読んでいなかった。 それがいま、十数年前に書かれたブログを読んでみると、いま現在自分があーだこーだと考えたり悩んだりしていることが、その当時にはすでにいろんな人たちに
以前は読者登録をして更新の通知があると読みに行っていたが、なんか自分はああいう通知っていうものが押しつけがましくてあまり好きではないので、すべての読者登録を解除して自分のタイミングで読みに行くことにした。いまのところこのやり方が気に入っているので今後も読者登録をするつもりはない。 また以前は設置していたはてなスターを外した。読んでもないのにいつもスター3個つけてくるのとか、いわゆる営業スター、ばらまきスター、無差別スターにうんざりしてしまった。こういう過疎ブログだとそういうのばかりが目立ってしまい、毎回毎回うっとうしいので外すことにした。もちろん中にはありがたいスターもあって、私にとっては貴重なものだったから、それがなくなってしまうのは残念である。しかし自分でもどういう心理なのかよくわからないのだけど私はああいうのが心底嫌いなのであり、貴重なスターやこのブログがあの糞スターの腐臭に汚染され
(約2,200文字) 今日はね、仕事帰りに人と呑んできたのだよ。たぶん酔いに任せて恥ずかしいこと書くから、後で消すかもしれない。 中学時代の同級生が、たまたま近くに出張するから会えないかと言ってきた。 昔の知り合いとは全く連絡を取っていないけど、放置しているFacebookのメッセージ経由でこんなふうに連絡してくる人がほんのたまにいる。 Facebookは放置してるはずなのに、周りの人たちのタグ付けによって、自分の行動がただ漏れしているのはちょっと困る。まぁ悪いことはしてないからいいけど… Tとその前にあったのは、私が東京にいた頃だから、もう15年以上も前だ。部活の後輩の男の子と東京に遊びに来たといって、3人で遊園地に行ったんだった。としまえんだったか、読売ランドだったか.… そこのゲームの景品で大きなテディベアが当たって、それを貰って帰ったんだけど、夏の暑い日に電車の中で大きなテディベア
「皆を幸せにしたかったらリーダーになるな、アイスクリームを売れ」と言った人が居るらしい。 でもそれはアイスクリームを買えない人を無視しているのではないか。皆を幸せにする、喜ばせることが目的でアイスクリームを売るなら、買えない人には僕が奢らなきゃいけない。それで気づけば何故か自分だけが損をしていて、結局何をしているのかわからなくなってしまう。いつものパターン。 僕は何事もプロフェッショナルになるには弱すぎるのだろう。 それで僕以外のみんなが幸せになるなら耐える意味もあるかもしれないけど、なるわけがない。 だから僕は皆を幸せにしたいけどアイスクリームは売りたくない。 思考が捻くれてるのは教訓に学んだせい。でも結局いつも同じ轍を踏む。何故だろう。 まぁでもこの人が言いたいのは、その覚悟がないなら「リーダーになるな」って部分なんだというのは分かる。だから僕はリーダーにもならないし、なる度量がない。
いま風呂から上がってきました。ひげトリマーで無精ひげを整えました。細かいことはしません。アタッチメントで長さを決めて全体的にそろえるだけです。週一くらいでやっています。毎日剃るのが邪魔くさいという理由でやってますもんで、ここだけ残してここはきれいに剃ってとか、そんな面倒なことはしません。それするくらいなら全部剃りますわ。で、アタッチメントをはずして耳の生え際のところなんかをやって、また口の横あたりにちょっと長い毛が見えたので剃ろうとしたら、アタッチメントをつけるのを忘れていてそこだけひげがなくなってしまいました。よし、めしにしよう。 今日の夕飯は肉じゃがである。昨日大量に作ったのが残っている。今日は味が染み込んでいるだろうから昨日よりおいしいはずだ。とにかく料理をしなくていいのがうれしい。家事にはうんざりしている。 そういえば一時期、肉なし肉じゃがをよく作っていた。カロリーオフになるし節約
ネットって便利だよな。顔とか名前とか自分に関連する情報を全て自分の意思で非公開にできる。ネットでは、本来の自分から乖離して、新たな人格になれる。 現実の世界では、発言すると、その内容によって人からのイメージとか評価が全て自分に返ってくる。心無い言葉を言おうもんなら、あの人はそういう人なんだと嫌われたり、敬遠されたりする。 でもネットでは、発言しても、発言した自分は靄の中に隠れていて、自分に何か返ってくることはない。仮に返ってきたとしても、被弾したのはネット上だけの人格で、それは本来の自分から乖離してるので、本体にダメージはない。 そんなんだから、そりゃネット上では暴言とかが飛び交う。媒体によって程度はあるけど。酷いところは本当に酷い。ネットだとしてもよくそんなこと言えたな、って言葉で賑わっている。 ただ、少し視点を変えて考えてみる。もちろん許されたことではないんだけど、この人もそうなるまで
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