68年前、広島に原爆が投下された日にラジオ放送が復旧するいきさつなどについて詳細に記された、NHKの職員の日記が広島市で見つかりました。 見つかった日記は、原爆投下当時、NHKの広島中央放送局の技術部に勤務していた森川寛さんが、昭和6年から昭和21年まで書いたもので、昭和49年に、森川さんが亡くなったあと、家族が広島市の自宅に保管していました。 このうち昭和20年8月6日の日記では、森川さんが爆心地から1.3キロの現在の広島市中区にあった放送局で被爆し、建物が大きく崩れたことなどが記されていました。 そして、森川さんは、空襲の情報を引き続き市民に伝えなければならないと考え、水に濡らした毛布を頭からかぶって、燃えさかる町の中を歩き、今の広島市安佐南区にあったラジオの電波を出す施設に向かったということです。 到着した施設は、大きな被害を免れていて、森川さんは打ち合わせ用の電話を使って大阪の放送