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2020年6月12日のブックマーク (2件)

  • 高等遊民になりたい(追記)

    金とか将来とかそういうものを一切気にしなくていいとなったら俺もなにかちょっとしたものが生み出せる気がする 小説かもしれんし随筆かもしれん 絵かもしれんし音楽かもしれん とにかく何かだ リアルな労働とか介護とかそういう問題が近くにあることが致命的に俺の創造性を削いでる気がするんだ 多分俺みたいなヤツは無数にいる そりゃ働きながらすごい作品を生み出せるヤツとか、働くことを捨ててすごい作品によって生計を立てる方向に踏み切れるヤツはすごいよ もちろん作品を生み出せることもすごいけど、気力とか思い切りとかそういう部分もでかい ただこの気力とか思い切りっていうのは芸術と直接関係はないだろう 1日働いたら気力を使い果たしてしまって家では寝るばかり、って人に夏目漱石なみの文才があるかもしれない 堅実に将来のことを考えて工学部に入って、絵なんて中学の美術で描いたのが最後って人も絵を気でやってたらゴッホくら

    高等遊民になりたい(追記)
    arajin
    arajin 2020/06/12
    金がなくても働かず借金まみれ、親は見捨てて知らんぷり。そんな人が小説家に向いている気がする。
  • 女児型ラブドールの利用や販売に道徳的問題がないとは言えないが

    神社の樹木が傷つくこと以外に、丑の刻参りに道徳的に問題があるかを考えよう。他人に見られないように強い怨恨を発露する行為だが、呪われている相手はそれを知ることも無く平穏である。しかし、道徳的に問題があるかと考えた場合、あると考える人は少なく無いはずだ。他人に恨みを抱いた善人は考えづらい。 人々は他者の内面にも道徳を求めるし、悪意が露見する事を毛嫌いする。礼儀正しく社会性が正しい人物であっても、毎夜、毎夜、丑の刻参りに出かけて隣人を呪っていることが明らかになれば、善人ではなく偽善者と言う扱いになる。差別的、もしくは独善的なことが分かるちょっとした失言で、評判を落とした著名人は少なくない。 さて、ネットの片隅で、表現の自由戦士とペドフェリア嫌悪者が、女児型ラブドールの是非について論争を繰り広げている。女児型ラブドールの利用が児童への性犯罪を誘発するというエスカレーション理論が主な論点と捉えられて

    女児型ラブドールの利用や販売に道徳的問題がないとは言えないが
    arajin
    arajin 2020/06/12
    「あなたの性的嗜好は罪深いものだ」