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ブックマーク / dice-x.hatenadiary.org (3)

  • 可能世界 - 思考錯誤

    『文藝』1994年冬季号の「可能世界についての四つの可能な質問」より。 質問作成は三浦俊彦氏。 4つの質問というのは、おおざっぱに書くと 宇宙が始まり、生命が生まれ、意識が生まれる。この確率はほとんどゼロに近いといわれるが、現に生命、意識は存在する。この不思議を説明するための仮説として、次のどれに真実味を感じるか?魅力を感じるか?(で選択肢が並ぶがそれは省略) 現実にあなたは死ぬ。この悲しい感情に対する慰めとして効果がより大きいのは、次のどちらか?(選択肢は略) 必然的存在、つまりどの可能世界にも必ず登場する存在者はあるか? ボールペンを持ち、「ああ、私がこのボールペンだったらなあ」とつぶやき、「そしてこのボールペンが私だったらなあ」と付け加えてください。さて、あなたがこのボールペンであり、このボールペンがあなたであるような世界(  )?この(  )に適語を入れ、問いを完成させ、その答えも

    可能世界 - 思考錯誤
  • 思考錯誤 何でこうなるの? データの妥当性議論から情報戦へ

    山形さんと室井さんのこの論戦である。 http://cruel.org/other/smoking.html http://tanshin.cocolog-nifty.com/tanshin/2005/10/post_1e9e.html タバコの害は科学的に実証されているか、という論戦のようにも読めるかもしれない。 違う。 (実証されているか否かも含めての)「語り口」をめぐる論戦だ。 「メディアリテラシー」や「リサーチリテラシー」をもちだす語り口の陥る隘路の典型例と言ってもいいのではないか。 鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書、2005年)から改めて引いておきたい。 「データ」と称するものが、いかにいい加減かつ恣意的な推論によって導き出されたものであるかについての批判は、これまでにも様々になされてきた。しかし、……「データ」に対する反証を行うだけでは、今度はその反証自体が別

    思考錯誤 何でこうなるの? データの妥当性議論から情報戦へ
    arajin
    arajin 2005/10/05
    鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書、2005年)
  • 2005-09-07

    前回書いたエントリを見なおしていたら、自分が「ムダじゃムダじゃ」と叫びまくるジャコウネズミさん(@ムーミン)になったかのような気が。 それはともかく、やはりコピペということ自体は、何ら新しい問題じゃないと思う。 勉強(学習)ってのは質的にめんどくさい作業であるわけで、手を抜けるなら手を抜きたいって気分はずっと前からあったわけで、そのための手法もいろいろずっと前からあったわけで。 教員のほうだって、できればうまいこと手を抜きたい気分に変わりはなく、だからこそ、古くはン十年一日のごとく、同じ講義ノートを使い続ける教授がいたり、新しくはe-learningとかいう旗印のもと、せっせと手抜きの方法論の開発に励んだりするわけで。 だから私にも、ぶっちゃけ、コピペでも手法をちゃんと工夫してくれればいい、という気はある。 ↓これくらいやってくれるとか 「レポート丸うつしを見破る方法」@大学教員の日常・

    2005-09-07
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