安倍総理と加計孝太郎理事長の深い関係が、行政の判断を左右したのではないか——加計学園の獣医学部新設をめぐる「疑惑」は、いまだ晴れない。 視点を変えて、加計学園の歴史を明らかにすることで、問題のありかを浮き彫りにする本レポート。第二部では、いかにして加計学園が初の大学新設に成功し、学校経営を「家業」として確立したかを追う。 (第一部「学園創立者・加計勉という男」はこちらから→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52291) 億単位の私財をつぎ込んだ その日は最高気温34度を超える、うだるような暑さだった。岡山市街地を一望できる小高い丘の上で、加計学園創設者の加計勉氏は蝉の声を聴きながら頭を垂れていた。 1961年8月27日、のちに岡山理科大学とその附属中高、そして加計学園本部が置かれることになる岡山市街地北側の半田山。ここに備中国一宮である吉備津神社から宮