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disasterに関するarittakeのブックマーク (20)

  • インターネットを武器にして大規模災害にどう立ち向かうか - ぺらねこ日記

    3.11以降、東京は浮き足立っていた。 今考えると、あの時みんな災害躁だったのだと思う。 当時は自分の時間が異常に多かった。 それだけ真面目に仕事をしていなかったのだが、仕事のやり方を教えてくれる人もいなかったし、環境も悪かった。 なので、時間だけはあった。 11日は、帰宅困難者に自宅を開放すると宣言し、夜となった。結局誰も受け入れられなかったけれど……。 12日と13日は、懸命に首相官邸から五月雨式に公開される糞みたいなPDFを読んでいた。BGVはNHK総合だった。 当時公開されたPDFは、このエントリにまとまっている。 http://anond.hatelabo.jp/20110312073521 増田に投げたのは、自分のブログよりも拡散力があるだろうと思ったからだ。 12日にエントリをあげた時点で、メルトダウンは確定だなと思っていた。 14日に転機が訪れた。 sinsai.infoに

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    arittake 2012/04/04
    貴重すぎる知見。
  • http://grandlines.net/index.html

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    arittake 2012/03/14
    TERACOの運営団体。
  • 「大学合格」「偏差値75」“壊滅の港”の子供たちの奇跡:日経ビジネスオンライン

    2月中旬。中学3年の男子生徒から高校合格の連絡を受けて、電話を切った小楠あゆみ(46歳)は安堵のため息をついた。 よかった――。 この数カ月、土日返上で南三陸町の子供たちの自習を支えてきた。高校受験を目前に控えた子供たちが、毎日のように小楠の下に通ってくる。正月も子供たちに付きっきりで過ごした。受験直前には手書きの模擬試験を作り、叱咤激励しながら、中学生10数人の受験へのラストスパートを見守った。 正直、プレッシャーは大きかった。だが、蓋を開けてみれば、受験した子供たち全員が隣町の進学校や国立の高等専門学校などに合格した。 「被災地だから」「自分の部屋がないから」「遺族だから」 そんなふうに子供たちが諦めたり、憔悴しきった状態になってはいけない。未来に向かって挑戦してほしい。その一心で過ごした小楠と子供たちの10カ月が、ひとつの節目を迎えた瞬間だった。 それは、避難所の片隅から始まった。

    「大学合格」「偏差値75」“壊滅の港”の子供たちの奇跡:日経ビジネスオンライン
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    arittake 2012/03/14
    復興のための人材を育てる。南三陸の勉強を教えるボランティア活動。
  • 【海外の反応】 パンドラの憂鬱 「涙なしには観れない」 BBC製作『津波の子供たち』を観た外国人の反応

    イギリスの国営放送のBBCが製作したドキュメンタリー、 「津波の子供たち」への海外の反応です。 そのタイトルが示唆しているとおり、東日大震災の被災者である子供たちが、 また、津波でお子様を亡くされてしまった親御さんたちなどが、 震災当時の様子や心境、またその後の生活を語っています。 約一時間と長い動画ですが、基的に全編ほぼ日語ですし、 お時間がある時に、是非ご覧になっていただければと思います。 BBCドキュメンタリー「津波の子供たち」"Japan's children of the tsunami " 3.11 ■ Tsunamiで受けた精神的な傷に対する子供たちの驚異的な回復力は、 希望を抱くためには最も重要なことね。 彼らの一人ひとりを抱きしめてあげられれば、って思った。 Koharuちゃんを亡くしてしまったNaomiさんの話が特に胸が傷んだわ。 彼女の心の傷が回復することを心の

    【海外の反応】 パンドラの憂鬱 「涙なしには観れない」 BBC製作『津波の子供たち』を観た外国人の反応
  • Breaking News, Latest News and Videos | CNN

  • 河北新報ニュース 第9部・岐路(1)再出発/還暦、パン職人に転身/解雇、職安通いの末に

    石巻市の内陸部にあった自宅は東日大震災の激しい揺れで倒壊した。更地となった自宅跡地に寒風が舞う。  伊藤正和さん(59)は、この地にパン工房を構える。オープンは5月8日、60回目の誕生日にするつもりだ。 <接客のプロ>  「まさか自分がパン職人を目指そうとは思いも寄らなかった」  昨年の今ごろは、宮城県女川町にある旅館の支配人だった。町内のホテルでも支配人を務めた接客のプロ。  震災直後、旅館は住民300人以上を受け入れた。家族を亡くし、失意のどん底にいる人たちの避難生活を支えた。  3月末に解雇を言い渡された。公共職業安定所に通ったが、「求人はだいたい60歳まで。年齢がぎりぎりの私にまともな就職先はない」と諦めかけた。  職安通いも6回目を数えた昨年夏、1枚のパンフレットが目に入った。国の緊急人材育成支援事業として、パン職人の養成講座への参加を呼び掛けていた。  旅館業へ復帰する望みを

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    arittake 2012/03/03
    新しい道に「わくわく」を持てるすばらしさ。まだその気持ちになれない人がいっぱいいるはずで、その人たちが新しい道を見つけていくことが本当の復興なんだろうね。
  • 大洗町はなぜ「避難せよ」と呼びかけたのか | 調査・研究結果 - 国内放送事情 | NHK放送文化研究所

    東日大震災で大津波警報が出された茨城県の大洗町は、「避難せよ」などの命令調の表現を使って、防災行政無線で住民に避難を呼び掛けていた。さらに放送内容を次々と差し替えて、長時間にわたって放送を行っていた。この大洗の防災行政無線の放送について、ことばや表現の面から報告するとともに、津波避難を促すのにどのような効果を与えた可能性があるのか、心理的な働きの視点などから考察する。 「緊急避難命令、緊急避難命令」。 「大至急、高台に避難せよ」。 これらは3月11日の東日大震災で大津波警報が出された茨城県大洗町が、住民に避難を呼びかけた防災行政無線放送の「命令調」の文言である。東日大震災では沿岸部に巨大津波が押し寄せ、東北地方を中心に大勢の死者・行方不明者が出た。茨城県では津波によって6人が亡くなったが、茨城県大洗町では、4メートルを超える津波に襲われながら、津波による死者は1人もなかった。津波の規

  • 視点・論点 「生きづらさを支えるということ」 | 視点・論点 | 解説委員室ブログ:NHK

    精神科医 森川すいめい ご家族を亡くした方、家や仕事を失った方、生きてきた理由を失った方がおられます。この先どのように生きたらいいのか不安で仕方がないと言います。 その不安には、二つの種類があります。一つは、経済的なことや環境の変化であるといった、すなわち、生き方の具体的な変化に対応できるのかという不安です。もう一つは、震災時に強いショックを受けた、たとえば、目の前で突然ご家族が亡くなったという記憶、自分があの時こうしていればよかったというような後悔の記憶、そうした感情を大きく揺らす記憶を抱えながら、未来を生きられるのかという不安です。 さて、震災後、「こころのケア」が必要だということが、多くの場で語られました。日は、「こころをケアする」ためには、何をどう考えて、どのようにしたらいいのかについて議論したいと思います。 こうした中で、私たちは、戦略と、活動のコンセプトや理念を練り直

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    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

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    arittake 2011/09/12
    たくさんの動画だけでなく、検索データでも振り返ることができるとは。ネット時代の災害として、そういうデータを国で保存とかした方がいいんじゃないか。
  • 山口達也、涙…防護服姿で4カ月ぶりのDASH村「荒れ放題で寂しかった」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    TOKIOの山口達也(39)が25日、日テレビ系「ザ!鉄腕!DASH!!」(日曜後7・0)のロケ地で福島第1原発事故により計画的避難区域となっている福島県浪江町の「DASH村」に、東日大震災後初めて入ったことを明らかにした。7月中旬に防護服姿で、放射性物質に汚染された土壌の浄化実験を敢行。都内での会見で「もうDASH村には入れないと思っていた」と涙ながらに語った。(サンケイスポーツ) 「村が荒れ放題になっていたのは寂しかった」。3月11日以来、約4カ月ぶりに“第2の故郷”に足を踏み入れた山口がポツリと漏らした。 大震災による原発事故の影響で、原発から約25キロ離れたDASH村は計画的避難区域となった。今回立ち入りが実現したのは、6月にJAXA(宇宙航空研究開発機構)から番組側にあった依頼がきっかけだった。 それは「DASH村で放射性物質のデータ採集と実験をしたい」というもの。宇宙での

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    arittake 2011/08/26
    9/11か。見よう。
  • 【第1回】会員200万人 日本人の「移動データ」で経済を読み解く:日経ビジネスオンライン

    ヒト、モノ、カネ。経済の基礎となるあらゆる要素は、循環してこそ成り立つという宿命を背負っている。どんなに素敵な物も、消費者の下に届かなければ売れないし、どんな大金も、使わなければただの紙切れだ。人も然り。場所から場所へと移動することで初めて、経済活動の原動力となる。 ところで、 人はなぜ「おでかけ」し、その人をとりまく環境はどのように「おでかけ」に影響を与えるのか。会員200万人の移動データから浮かび上がる日人のおでかけを通して、経済の実相を読み解いていくのが、連載の趣旨である。 解説いただくのは、おでかけ研究所主席研究員の長谷部潤氏。聞き手は、蛯谷敏=日経ビジネス記者である。 今回のテーマ:東日大震災から100日。「おでかけ」から被災地の経済を見る 蛯谷:長谷部さん、ついに始まりました。日経ビジネスオンラインとコロプラの連載企画。どうぞ、よろしくお願いします。 長谷部:どうも、初め

    【第1回】会員200万人 日本人の「移動データ」で経済を読み解く:日経ビジネスオンライン
    arittake
    arittake 2011/07/22
    すごく面白い。移動データを分析して見る被災地の現状です。こういうマクロな視点の情報は貴重だと思います。
  • 東日本大震災の被災地をストリートビューで記録します

    メディア関係者向けお問い合わせ先 メールでのお問い合わせ: pr-jp@google.com メディア関係者以外からのお問い合わせにはお答えいたしかねます。 その他すべてのお問い合わせにつきましては、ヘルプセンターをご覧ください。

    東日本大震災の被災地をストリートビューで記録します
    arittake
    arittake 2011/07/08
    素晴らしい試み。また気仙沼の菅原市長のコメントが胸に迫る。「誇りに思う」と言えるって、なんて気高いんだろう。
  • 大丈夫って言いたくなかった - 傘をひらいて、空を

    ゆうべも揺れたねと彼女は言った。ねー、怖かったあ、と私はこたえた。眠ってても揺れた気がして起きちゃうし、ほんと、つらい。 彼女は一瞬の、ずいぶんと重量のある沈黙ののち、表情のない声を出した。サヤカあなたなんでそんな簡単につらいって言えるの。私はいささか仰天してとりあえず謝った。彼女はひゅっと音をたてて息を吸い、無表情のままそれを少しずつ吐き、ううん、謝ることないの、と言った。 大丈夫ってみんな訊くでしょう。彼女は言う。地震直後は、それがうれしかった。会社から歩いて家に着いて、家族もけがしてなくて、とてもほっとして、よろこんで返事した。でも地震が続いて、電気が止まって、仕事にも少しずつ支障が出てきて、買いにくいものがあって、みんな、また訊いてくれるの。心配して声かけて、メールをくれる。大丈夫って私、言う、メールを書く、大丈夫平気大丈夫です大丈夫です大丈夫です、 私はおろおろしてカフェの椅子を

    大丈夫って言いたくなかった - 傘をひらいて、空を
  • 今こそ隣人に対して寛大になろう:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 先週の今ごろ、私は、当欄のためにホワイトデー商戦の衰退に関する原稿を書いていた。 なんとお気楽な原稿であったことだろう。 信じられない。半年前の出来事みたいだ。 それだけ、私の頭の中味がすっかり入れ替わっているということだ。 実際、この一週間で、すべての状況は変わってしまった。 ホワイトデーの当日、私は、しばらくぶりにクルマを運転していた。計画停電(のアナウンス)の影響で電車が止まっている地域に顔を出さねばならない用件があったからだ。心を言えば、燃料不足の折、なるべくなら自動車を動かしたくはなかった。 ところが、ハンドルを握ってみると、ドライブは快適だった。縮こまっていた心が息を吹き返すみたいに感じられた。それもそのはず、地震発生からこっち

    今こそ隣人に対して寛大になろう:日経ビジネスオンライン
  • 今もこれからも、すてきないい町 - 深町秋生の序二段日記

    三陸の旅を終えて以来、虚脱状態が続いている。 山形が停電から復旧し、テレビやネットで情報を追い続けていたが、この世のものとは思えない津波の映像に震え、ぶらぶら歩いていた釜石の商店街が波に呑みこまれ、あとはもうひたすら恐ろしかった。 地震当日の午前中は、宮城県松島のカフェで原稿を書いていた。午後に山形で用があり、久々に帰郷したところで地震に遭った。その用事がなければ、「いいところだな」と、太平洋岸の町をうろついていたと思う。 最近は、ずっと旅をしていた。 三陸をうろつく前の週は、福島の郡山やいわき市に。海を見ていると、原稿執筆のモチベーションが維持できるという理由で、今年の冬は沖縄や福島、仙台、三陸をぶらつきながら、わりとストイックに原稿に向かっていた。旅をしながら、同時にカンヅメでもあったのだ。 プライベートな空間では原稿がまったく書けないので(個室に入るとロクなことをしない)、家には帰ら

    今もこれからも、すてきないい町 - 深町秋生の序二段日記
  • 200年以上続く老舗社長が語る 「陸前高田も会社も無くなりました」:日経ビジネスオンライン

    「こんなの値のつけようがねえよ」。苦笑した河野氏だったが、試しに逆算してみると、一升3000円は必要だった。父親の7代目に相談すると、「昔は醤油一升と男の散髪代は一緒だった。お前はまともなことをしたんだよ」。この言葉に背中をされた河野氏は「生揚醤油」の商品化を決めた。 独自の醤油造りを始めようとした当時、「若社長の道楽」と思った工場長は反対した。確かに、当時は輸入産の脱脂大豆を使った醤油造りが全盛期。いかに早く、安く作るか。それが、醤油メーカーの当然の発想だった。国産原料を使用し、熟成に2年かけるという河野氏の構想に、不安を覚えるのも無理はない。 「ついていけない」。辞表を出そうとした工場長に、河野氏は粘り強く説得した。「今やらなければ、9代目、10代目に技術を伝承できない」。その言葉に打たれた工場長は職人魂を発揮。機械搾りを想定していた河野氏に、昔ながらの梃子を使った絞りを提案したという

    200年以上続く老舗社長が語る 「陸前高田も会社も無くなりました」:日経ビジネスオンライン
  • YouTube - じいさん「また再建しましょう」

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  • Japan earthquake and tsunami: The moment mother nature engulfed a nation| Mail Online

    Japan earthquake and tsunami: The moment mother nature engulfed a nation| Mail Online
  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

    サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

  • Massive earthquake hits Japan

    An 8.9-magnitude earthquake hit off the east coast of Japan early today. The quake -- one of the largest in recorded history -- triggered a 23-foot tsunami that battered Japan's coast, killing hundreds and sweeping away cars, homes, buildings, and boats. Editors note: we'll post more as the story develops -- Lloyd Young (47 photos total) Houses swallowed by tsunami waves burn in Natori, Miyagi Pre

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