「愛の反対は無関心である」 マザーテレサが言ったとか言わなかったとか噂される伝説の言葉。 コメントを 付けちゃいけない 理由など あるのだろうか ないのだろうか。 だけど現状を見ると、まるで、そんな理由が存在するかのように振る舞っているように思える。 it behaves like ... xxx なんのオブジェクト指向なんだ。なんのダックタイピングなんだ。 そう感じることがある。 「僕らはもっと、Qiitaのコメント欄を使って良いはずだ」 こちらが本当のタイトルだ。 たとえば優れた技術記事に対してだって「ただの感想」「受けた印象」を書いたって良いじゃないか。 なぜいけないんだ。それが世界を悪くするとでもいうのか。 いいね問題 〜ドアと切手と花束と〜 「いいね」に比べて、Qiitaのコメント欄は使われなさすぎる気がする。 これはなんとなく「ドアだけ叩いて、そのまま立ち去って行く大勢の人達」