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倫理に関するaruiha_shikashiのブックマーク (22)

  • 友人がニコニコ大会議に行って来たの話 - ● SPOTWRITE 

    7月4日(金)18時より、東京ドームシティ JCB HALLにて、 「ニコニコ大会議2008 〜日の夏、ニコニコの夏〜」が、催されていた模様。へえ〜。 https://secure.nicovideo.jp/secure/entry_summer そして、ちゃっかり応募してちゃっかり当選していた友人が、一人で参戦してきたのだ。 生ひろゆきを見てきたとか、痛い厨房が多かったとか、そんな話は予想の範囲内で、単純な「いいなあ」「見てみたいなあ」くらいしか感想が出てこないのだけれど。 「たのしかった?」と聞いたら 「ひろゆきが質疑応答するとき、ステージの左右のスクリーンに、ストリーミング生中継してるニコ動画面が出てるんだよ、コメントとかもリアルタイムで表示されて。そんで、質問のときに、太ってる人が喋ったら、その人が見てる目の前で、『ピザwwwww』とか可哀想なことが流れてて」 「みんな最初笑い堪

    友人がニコニコ大会議に行って来たの話 - ● SPOTWRITE 
  • 同じ空間を共有できていたのか−−秋葉原事件の撮影について:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    なぜ野次馬は怒られるのか Jcastニュースの記事「秋葉原事件の被害者撮影 モラル論議が巻き起こる」にもあるように、秋葉原連続殺傷事件をめぐって、現場を撮影した人たちのモラルが問題になっている。背景には報道と野次馬の境界線が消失し、一般人の情報発信とマスメディアの取材・報道の境界線がなくなっているということがあるのだろう。それはたしかに事実であり、そう指摘することはたやすいのだけれども、しかし一方で、なぜ報道の撮影に対してはある程度許容できるのに対し、一般の人の撮影に対してはなぜあれほどの不快感を抱いてしまうのかという、その差を説明できたことにはならない。 知人の大手新聞記者はある夜、当直勤務の途中で火事現場に取材に駆り出された。うっかり会社にカメラを置き忘れていて、手元にある撮影機器はケータイしかない。しかたなくケータイで火事場を撮影していたところ、付近にいた警察官や消防隊員から何度とな

    同じ空間を共有できていたのか−−秋葉原事件の撮影について:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan
    aruiha_shikashi
    aruiha_shikashi 2008/06/25
    "マスメディアは、野次馬根性を「公共性」という甘ったるい生クリームでからめとってしまい、むき出しの野次馬根性を覆い隠してくれる役割を持っている。"